今年の夏の日本列島は空前というべき熱波に見舞われました。地球温暖化を先取りしたのかと思われる気候でしたが、その中で多彩な剣道行事が次々と順調に進められたのは喜ばしいことでした。
小泉内閣ができて初めての国政選挙である、参議院選挙が7月末に行われましたが、「聖域なき改革」を叫ぶ小泉首相が率いる与党が勝利、その路線継続の方針が支持されたました。政界では選挙後その改革をどう具体化するかについて、抵抗勢力といわれる側の動きも予想どおり高まって、成果を危ぶむ向きがありますが、困難を乗り越えて国家百年の計を具体化して貰いたいものです。
毎年の終戦記念日を迎えました。例年閣僚や国会議員の靖国神社の参拝を巡っての空騒ぎが繰り返されますが、今年は小泉首相の信念に基づく参拝の方針を巡って、九段坂周辺は一段と注目の的となりました。護国の英霊への慰霊が、政治や外交の駆け引きからだけ論議されている現状は嘆かわしいといわざるを得ません。終戦にいたる、またその後の日本の歴史を顧みて、今後の進むべき道、その在り方を考える実のある記念日としたいものです。
さて終戦から、連合軍による日本占領という時代を振り返ると、われわれは剣道の受けた受難の歴史を想起せざるを得ません。学校における剣道教育の禁止に始まり、公的機関における剣道の禁止と続く、剣道に対する厳しい弾圧が続きました。
その後の数年、国民すべてが食うや食わずの中、復興のための努力を重ねた日々でした。その中で生活の道を奪われた多くの剣道人の苦難は想像に難くありません。一方制約の中、各地で剣道の火を絶やさずに続けた多くの人の努力も忘れてはなりません。6年余りの厳しい占領下の日々でした。
当時のドン底の国民生活を顧みて、日本経済の今日の発展を比較すれば、まさに夢のようですが、終戦記念日にはお互い剣道人として、独立回復後、剣道の再建に成功、今日の復興発展させた多くの先人の労苦と、剣道自体の歴史を静かに振り返ることは忘れてはならないことと思います。
さて剣道界に目を転じます。6月に発足した全剣連の新執行部は、何でも改革といったことでなく、着実な前進と充実のために、担当役員のもと秋からの飛躍を目指して準備を進めています。
新しい称号・段位制度の運用への取り組みを進め、審査の内容向上を実現すること、審判技術を高めるための基幹指導要員の研修を進め、試合の質を高めること、この両者については、すてに前年度より取り組んでおり、本年度も引き続き重点として進めます。
新しい役員のもとでは、すでに前号で触れていますが、本丸ともいうべき普及・指導への包括的取り組みを進めることにしており、大型の専門委員会としての普及・指導委員会を発足させます。そして岡 憲次郎審議員を委員長に委嘱し、その構想を練ることとしております。
全剣連の普及における大きな目標は、剣道理念に則した剣道を広く実現することにあり、抽象的ではありますが、これについて大方の理解を得ているはずです。
次にこれを具体化するための普及・指導の方策では、現在展開している各種講習会のための講習の指針を作っており、毎年2月に北本市で行う剣道研究会で、次年度の講習会における普及・指導方針を討議し、講習会資料に織り込み、全剣連の関与する講習会に教材として使用するほか、各剣連などに希望に応じて配付しております。
毎年1万部程度の部数を頒布しておりますから多くの方はご覧になっておりましょう。そして多くの場合、研究会に参加したメンバーが講師として各地に派遣され講習に当たる方式を取っています。
さて現行の講習の内容の充実を図ること、講習の効果をいかに高めて行くかという問題にまず取り組むべきでありましょう。
講習会の性格と目的を見直すこと。受講者の個人のレベルアップなのか、指導者養成なのかをはっきりした上で、適当な方法を選ぶことがまず必要です。
また現在の講習会、内容を総花的に取り上げ、どれも時間が足りず終わる傾向にあるようです。したがってレベルの高い受講者にはもの足りず、多くの受講者には消化不良の傾向にあると思われます。
また講師の問題もあります。これまで研究会に出る講師要員は、万能選手として扱う慣行がありました。それらの方も、指導法、剣道形、審判などと専門化して、研究を重ねていただき、少なくとも任期2年はその分野で指導して貰うようにしたいと思います。
教材の問題もあります。現在の講習会資料は、毎年若干の改訂、変更を加えつつ作成してきております。しかしこれらの基礎的分野についての教材は、本来毎年変えるようなものではないはずです。したがって全剣連としての検討を加え、教材の内容を確定し、継続的にこれを使えるようにするべきと思います。講習会参加者に対しては、社会体育指導者認定講習ですでに実施しているように、一定部分を予習の上参加することを義務付けることにより、講習能率を高めることを実施するべきです。
全剣連では先日、普及、指導担当の幹部による意見交換の場を持ちましたが、以上述べたことはその場での意見に、一部私見を加えたものです。9月に方向を定めるため検討を重ねます。
外国人夏期講習会は第26回目となりました。28の国からの、53名の参加者を迎えて7月27日から1週間の日程を終えました。猛暑が一段落したとはいえ、格別の暑さの中、全員よく頑張っての講習でした。日本側の講師各位、関係委員のご努力も特筆すべきもの、例年とおり解脱会の皆さんの献身的ご協力を頂きました。関係者の皆さんのお骨折りにより、大きな盛夏を収めることができました。
日本武道館での全国家庭婦人剣道大会も第18回となりました。すつかり定着した各県からのママさん剣士による熱戦が繰り広げられました。3連覇を目指す茨城県を、準決勝戦で下した福岡県が、決勝で、東京都Aに逆転勝ち、10年ぶり2回目の優勝を果たしました。服飾面では紺の稽古着一色だったのが印象に残りました。
7月27、28の両日、日本武道館は少年少女剣士で埋め尽くされます。錬成大会の参加者は2日を通じて830チーム、5千名の剣士による演武は壮観です。指導者を基に立てての基本打ちを取り入れた試合はこの大会の特色ですが、キチンとした打突に、平素の指導者の努力も反映されます。見る者に剣士たちの今後の健やかな成長を念じる気持ちが満ちる大会でした。
明治40年にご誕生の奥山麟之助さんは、一貫して京都にあって、武徳殿の盛衰とともに過ごし、これを見守ってこられた生証人というべき方でした。演武大会には欠かさず出場、毎年演武の最後を飾られました。5月5日には武徳殿の傍らの内藤高治さんの碑での墓前祭を毎年主催されました姿が思い出されます。山崎高さんは、戦前の官吏の道を進まれ、衆議院の名事務総長と謳われた方でした。後に会計検査院長も勤められましたが、晩年まで衆議院道場での稽古を怠らず、官公庁剣道連盟の面倒も見られ、文人である剣道人として名を残されました。お二人の逝去、明治は遠くなった感一入です。堀内肖吉さんは時代が下って私と同じ戦中派です。東京高師ご卒業、戦後は栃木県にあって教育畑を進まれ、県剣道のリーダー役を果たされました。全剣連の審査担当常任理事としての的確な仕事ぶりでのご尽力を思い出します。
3人の方のご冥福を祈ります。
(1)去る7月に全剣連より刊行された剣道医学Q&Aは医師剣道連盟の方々のご協力のもとに、「剣窓」に連載された「剣道医学サロン」を補完して纏められたものです。剣道に伴う外傷対策などの狭い範囲のものでなく、高齢まで活動する剣道人すべての健康の問題を網羅した、90の質問に対する答えが、41人の専門家により平易に記載されています。
取りまとめに当たられた伊藤元明氏、ご協力戴いた方々に厚くお礼申しあげます。剣道人お互いの健康保持のための座右の書として備えられることをお勧めします。
(2)7月号のこの欄の訃報でお知らせしたロシア剣連会長ヤコブレフ氏は、別荘での作業中の事故が原因で亡くなられたとのことです。謹んで訂正させて戴きます。