ようやく秋になりました。酷暑と繰り返し襲来する颱風、随伴する豪雨で苦労の多い季節でした。これからの秋、大会、審査に存分の力を発揮して戴きます。
ます秋の行事の口火を切る東西対抗剣道大会は、戦前からの歴史を引き継いだ高いレベルの大会で、全国を巡回して開催され。今年は四国松山市で、昨秋竣工した県武道館を会場として9月26日に行われました。県内産の木材、瓦などを贅沢に使い、木組みと石垣を配し、城をイメージさせる壮大な建物で、道場設備にも新しい機能を組み込み、愛媛県ご自慢に値する全国の武道館の中で屈指のものと見受けました。
大会を来年の鹿児島大会と入れ替えて実施し、武道館のこけら落としの一行事として間に合わせた、地元愛媛剣連の意気込みもさもありなんと感じました。
全国の剣士を迎えての伝統ある大会は、会場に負けないすぐれた勝負が連続し、内容的にも第50回の節目の大会にふさわしいものでした。参加剣士も好敵手を得て、良き勝負を展開、これを観る関係者や、会場を埋めた3千人の観客にも感銘を与え、開催の意義を十分に達成した大会となりました。
試合結果、戦評は別の記事に譲りますが、勝負は女子を含め西軍の勝利となりました。出場選手は各剣連からの推薦に基づき東西の選考委員会で決定されますが、2年連続出場を認めないために、次回大会には今回出場の80剣士は1人も出ないことになります。東西最高の戦いではありますが、全国の優秀剣士が2分の1づつ出て戦う質の高い大会として続けられ、高段者への奨励の効果も期待する場でもあると理解して戴きます。今年は八段の枠を増やし、ほぼ半数に近い17組としています。六段の新鋭から、円熟期に入る60才台の剣士までの試合として、内容的にも成功であったと感じました。
さてこの大会三本勝負、試合時間5分(女子は4分)で、それぞれ勝負が決するまで行われます。記録を振り返ると二本取って決まった試合が12、あとの23試合が一本勝ちで、このうち5分の時間内で決まったのが9、残りの14試合が最高13分の延長の末の勝負となっています。 ここで3分の2を占める一本勝負の試合に、もっと時間を与え、本来の姿である三本勝負にして時間制限を廃し、十分な実力勝負をやって貰ったらとの考えが出てきます。
大体勝負を5分で切るのは多数の試合を処理するための戦後のやり方ですから、大会によってはこの制限をなしで行うのがどうか、検討課題にしたいと思います。ともあれ地元剣連の方々のご尽力もあった後味のよい大会でした。
平素あまりお目にかかる機会がない剣連会長の方々と、全剣連首脳との懇談の機会を持とうと、機会を求めて会同を持つことにしています。
今回は東西対抗大会の前日、中国・四国地区の剣連会長、または代理の副会長の方にご参集を願い懇談意見交換を行いました。今年は6月以来。関西、関東、九州、東海・北陸と開催し、東北、北海道を除く会同を終えることができました。はじめての顔合わせの地区もあり、それぞれ有益であったと感じています。双方の意思疎通を円滑にすると共に、今後の剣道の振興を各剣連会長が、積極的にイニシアティブを持ちつつ進めて戴くため役立つものとしたいと存じます。
大会前日に例年開かれている相談役会、審議会において、かねて長期構想企画会議において検討、立案されてきた剣道指導の心構えの試案を、議長である国松副会長から経過説明を行うとともに意見を伺いました。それらについては今後会議において審議されていくものですが、会議を通じていくつか気の付いた点を私見を交えて述べたいと思います。
まず剣道の指導は実際上あらゆる現場で行われます。立派な指導者によるものもありますが、一方町の剣道クラブでの年配者、学校の剣道部などでの上級生のように、指導者という概念に入らない人が実際に指導の役割を持つ場合が多いのが現実です。今回立案の心構えの狙う対象を、指導者といわれる層を中心とするのか、いわば草の根的に実質的に指導の立場にある人への指針とするか整理して纏めることが望ましく、後者に対しては、ごく分かりやすいものにすることが必要でしょう。また解釈、実行方法の分かりにくいことは避けるべきと思います。
つぎに剣道と刀との関係ですが、竹刀は刀に由来していることは確かです。一方江戸中期に興った竹刀剣術の最大の特色は、竹刀、剣道具の考案導入のもと、実際の打ち合い、試合が可能になったことにあります。 この際刀の操法の原理を取り入れながら、打突部位を限定すること、また刀より長く軽い竹刀を用いるなどのシステム化を行い、競技性を取り入れ、習技者に興味を持たせ、現代剣道の基本となる革新が行われました。そして形などを中心とした木刀による修業が形骸化していたそれまでの剣術に代わるものとして、圧倒的に広まったのであります。
そして竹刀剣術のシステムは、その後に取り入れた精神的な部分を含めて確立された剣道として、日本文化の所産として揺るぎないものとなりました。
剣道は刀の操法を起源としていますが、竹刀剣道を形成する経過で、昇華と言うほどの変化をたどりました。戦前まで盛んであった刀により近い無刀流が、ほとんど行われなくなった状況も現実です。竹刀は刀という観念を指導理念で強調することにはかなり気を付けて行うべきものと感じます。
各剣連の協力を得て集めた五段以下の学科試験問題について、委員会で整理、検討を加えてきましたが、作業が終わり、適当と見られるものを集めた例題集として完成のめどを得ました。近く資料として印刷し、各剣連の参考にして戴く予定です。
五段以下の審査の実態をいくつかの剣連に委員が手分けして参上し、見学と実態把握に当たってきました。十数の審査会場についての視察を行い、いわば第一ラウンドを終えることができました。これは全剣連、関係剣連の双方にとって有益なものであったと思います。これらの結果を整理して、つぎの段階の方策を検討します。
東西対抗大会の翌週の10月3日、第31回全日本杖道大会を同じ会場で開催、全国から350余名の剣士が参加しました。前年の札幌大会と同じ規模ですが、観客は殆ど居ないこの大会ですが、新装の大会場で熱気ある演武が繰り広げられました。
本年度の新事業として行われる表記顕彰の候補者を各剣連に推薦を求めていましたが、約300件の推薦を戴きました。全剣連に設けた選考会議で、整理・点検を行った上、理事会において対象者を決定し、12月11日の贈呈式において代表の方に贈呈される予定です。
昭和39年秋の東京オリンピックの年に完成、開館して柔道会場にもなりた、また武道のデモンストレーションも行われた日本武道館が40年を迎えました。ホテル・グランドパレスで行われた記念式典には小泉首相、衆参両院議長、文部科学大臣も出席挨拶をされました。日本の武道がまだ弱体の昭和30年代、国会議員、財界発議により日本武道館が北の丸の地に実現したことは、日本武道の存在を確認し、その後の発展に役割を果たしたものです。 関係者のご努力に感謝の意を表するものです。
先般の内閣改造人事とともに行われた、自民党三役の人事で久間もと防衛庁長官が総務会長の要職に就かれました。氏は大学剣道部でも活躍された剣道人、全剣連顧問もお願いしています。重責を果たされることを念願します。
無刀流の開祖であり、幕末から明治にかけて幕府、明治政府の要職につかれた山岡鉄舟の墓所のある東京谷中の全生庵は、本人が設立されたものでもありますが、ここで山岡鉄舟展が開かれました。、展示された見事な筆墨は、さすが文武両道の人と、感銘を新たにさせるものでした。