「昭和の日」に歴史ある団体戦の全日本都道府県対抗剣道優勝大会を行うことにして3回目、ゴールデンウィークの一連の行事の口火を4月29日に切りました。続いて舞台を移した新緑の古都では天候に恵まれ、順調に大会・審査会を終えることができました。
昭和28年5月に始まった全剣連の最も古い全国大会は、第56回を迎え、年度初めの各剣連が総力を競う大会として、大阪市中央体育館で開催されました。
これまで14回の優勝を誇る地元大阪府は精彩を欠き、青森県に辛勝したものの3回戦で高知県によもやの苦杯を喫しました。
準決勝戦第1試合は、堅実に勝ち進み4回戦で、高知県を圧倒した神奈川県と、福岡県・茨城県をやっと本数勝ちで下した東京都の対戦になりました。地力が出てきた東京都、大接戦の末に神奈川県を下しましたが、事実上の決勝戦であったと見られました。
第2試合は、昨年に続き充実した千葉県と、地元とは言え、不思議に上位進出できなかった京都府の対戦になりましたが、京都府が千葉県を下し、初めて決勝に駒を進めました。
決勝戦は東京都が地力を出し、やや力尽きた感のある京都府を圧倒し9回目の優勝を飾り、一方京都府がはじめて2位の座を占めました。
大会は全般的に試合内容もよく、充実感が残りました。課題は、女子2名を加え、職域別・年齢別の組み合わせた7名の選手構成は、見直しの時期に来ていることです。高校生にも出番を与えれば、試合の魅力と人気は高まるとの意見があります。この歴史ある大会をさらに充実させるため、早急に検討し結論を得たいと思います。
明治28年に始まる伝統ある武徳祭大演武会を引継ぎ、武徳殿で連綿と続けられた剣道演武大会は、104回目になります。少しく参加者に陰りがあったここ数年を上回る3,100名余の参加を得て、充実した大会が繰り広げられました。日本文化として誇れるこの行事をお互い大事にして、さらに盛り上げて行きたいものです。
5月3日の開始式には、京都府剣連会長を引き受けて頂いている、伊吹 文明自民党幹事長もご多用の中出席され、剣道関係者・大会出場者を激励頂きました。順調に大会を終えることが出来、出場の方、運営に当たられた京都府剣連の方々のご尽力を深謝します。
5月1・2の両日行われた剣道八段審査、受審者は1,400名を越え、申し込みは2日目に偏りましたが、合格者は1日目3名・2日目8名と、ほぼ同じ合格率になる相変わらずの難関でした。70歳を越える方が2名合格され、注目を引きました。
60歳を越える方の修業年限短縮の特典で受審された100名余りの方は、いずれも一次審査で不合格になりました。
5月3日の居合道・杖道八段審査では、それぞれ12名、2名の合格者が出ました。4月29・30の両日、京都市立体育館で行われた剣道七・六段審査は、それぞれ6.2%、8.9%の合格者で、厳しい評価となりました。
続いて5月10・11日、名古屋に舞台を移した剣道七・六段審査へは、七段1,354名、六段1,308名と休日を選んでの多数の受審者が挑戦されました。合格率は、七段8.3%、六段10.6%という結果でした。なお60歳以上の修業年限短縮の特典を利用して受審された方は、七段97名・六段38名でしたが、それぞれ6名・2名の方が合格という結果でした。この制度は見直すことになっており、近く廃止することで結論を得る見通しです。
5月3日には居合道・杖道範士の審査会が行われ、教士・錬士の他居合道4名・杖道1名の新範士が誕生しました。演武大会終了後の5月6日午前には剣道称号審査会が行われ、教士審査では筆記試験合格の142名が、錬士審査では296名の方が合格されました。最高位の剣道範士審査は各剣連から推薦の64名の候補者について審査され、10名の合格者が決定しました。範士はもとより剣技のみでなく、これに加える人格・識見・指導力などを備えた方が選ばれます。75歳の新堀強氏が最高齢で、70歳代2名、60歳代・50歳代それぞれ4名で、地域的には東北1名・関東4名・東海1名・近畿2名・九州2名というバランスの分布になりました。審査に合格された方々にお慶び申し上げるとともに、今後は剣道人として一層の充実のためにご精進頂くことをお願い致します。
26回にわたり続けられてきた明治村大会を引き継いで、名古屋市で行うことになった剣道八段戦も第6回目を迎え、32剣士の激突する大会として、4月20日に開催されました。
決勝戦は東京都同士、遠藤 正明八段が延長戦で小手を決め、氏家 道男八段を下して初優勝を飾りました。この大会毎回優勝者が代わる激戦が続きます。前回優勝の船津八段、今回も当たるべからざる勢いを示し、連続優勝成るかと期待され、2回戦での遠藤八段との対戦で鮮やかな面を先取しましたが、遠藤八段に面二本を許し退きました。ただ勝負になった面の判定には、雛段で疑問の声が上がったことは記して置きます。また大会を通じて何本かの突き技が出され、一本になったかと見られる技もありましたが、旗は一本も上がらなかったことにも同様の声がありました。
しかしさすがに選抜されてきた八段戦にふさわしい充実した大会であったと見ます。選手各位の奮戦を多とするものです。
4月24日に全剣連は関係有識者と協議し、必修化への対応への意見交換を行いました。まず全国の中学校での剣道授業の実施状況の把握、授業に参考にするための事例集を作ることなどを決め、活動を開始しました。
今年は優勝兜が東に移動しました。この兜は奈良の春日大社に保存される南北朝時代の国宝を精密に復元・模造されたものを、全剣連が入手し大会に提供したものです。運営に当たる大阪府剣連では、この貴重な兜の汚れを防ぐため授受に当たっては白手袋を使用することにしています。
兜を渡すのは大会会長の役目ですから、毎年白手袋を着けるのですが、そのたびに戦中を思い出します。将校の軍装では必ず手袋を着用します。確か「手套(しゅとう)」と呼んでいました。正式な敬礼、隊を指揮するときは軍刀を抜きますが、この際手套は必需品でした。
正式の洋装では今も手袋が必要ですが、今は年1回の大会に際して思い出を新たにしています。
②演武大会の時期は弓道大会と重なり、テントが武徳殿の正面に林立しました。本年は弓道大会が他で行われ、南側のテントが消えました。
会津藩邸から移築された南門は開かずの門で、僅かに3日の朝だけ、開けて貰っているのですが、今年の武徳祭のあとの移動の際、門外から見える武徳殿の姿は荘重そのものでした。また武徳殿正面側から見える南門の姿の優雅なこと、誠に明治時代に作られた武徳殿の文化的価値を改めて感じ、ここで演武大会を開くことのできる喜びを痛感しました。
③毎年武道具組合により提供されている、剣道具製作の実演、今年は竹刀の製作が行われました。四つ割りの竹の素材を削り、細かい調整を加えながら見事な竹刀が組み立てられます。
聞けばこのような竹刀作りの職人は年々減少し、現在は全国で10名程度しかいないとのことです。竹刀に限らず剣道具の作成は、江戸時代の高度の工芸技術により実現したもので、その技術の保存・育成に、剣道界はもっと関心を持つべきと感じたことでした。
会 長 武安 義光