残暑が続きましたが、ようやく秋らしくなりました。予想外の福田康夫首相の辞意表明から政界が激動しています。この時点で後継首班は分かりませんが、内外の多くの課題に国益と国民の生活を守るために、政治ゲームを程々にして、適切に対応、処理できる体制を築いて貰いたいと念じます。
さて剣道界は夏の多くの行事をこなし、秋の陣を迎えます。全剣連執行部も任期半ばを過ごし、成果を収める時期に入ります。重要行事を円滑に実行して行くとともに、じっくりと先を見越しての課題に取り組んで行きたいと思います。
実質的に戦後の剣道の復興とともに始まったのが、日本の女子剣道です。初めて女子選手権大会を実行できたのが、全剣連発足後10年の昭和37年で、しかも大阪での全日本都道府県対抗優勝大会の後の、添え物の形で始まりました。その後25年を経て、やっと独立して開催できる水準になり、守口市、名古屋市での開催を経て、3年前から藤枝市の静岡県武道館での開催となり、今年第47回大会を迎えました。この間、平成9年の第36回大会から皇后盃を下賜されています。
先般の北京オリンピックでも見られたように、男子だけのものであった多くの種目を女子が行い、目覚ましい活動をしています。日本の女子選手の活動の姿に感銘を受けたケースも多くありました。女子スポーツの普及、発展の流れを如実に示したものです。
戦後始まった女子剣道も、レベルは上がり人口も増加してきました。女子の剣道だから、発達途中だから、と評価基準を甘くする見方は過去のものとして行く段階にきています。
これまで全剣連は試合時間でも、男子と差をつけていましたが、原則としてすべて男子と同様にする方向に改めています。前回の大会から、試合時間も基準である5分間、最後の方の試合時間は10分間とし、今年は準々決勝(4回戦)から10分間にして行いましたが、選手はこれに応え健闘し好試合を展開しました。
先月号でお知らせした全国家庭婦人大会を全日本女子都道府県対抗優勝大会に改めていくのも、同じ考えによっています。かつてスポーツをやる機会の少なかった家庭婦人への奨励策として始められたのが、この大会でした。その後女子剣道の普及に役割を果たしてきたこの大会を、全日本女子都道府県対抗優勝大会として、女子剣道の本格的発展のための枠組み作りをやって行こうとしています。
長身を生かし、守りを固め機を見て繰り出す面を決め、ほとんど相手に付け入る隙を与えず、3年間王座を守ってきた村山 千夏選手(埼玉県)は、今回も挑戦する選手をつぎつぎと破り、危なげなく決勝戦に進みました。一方6年前に優勝を飾り、その後も強みを発揮してきた坪田 祐佳選手(岡山県)は、動きよく好調に試合を進めて村山と対戦しました。
満場固唾を飲む好試合、村山が得意の面を先取、4連覇に王手をかけました。しかし坪田も屈せず、攻め合いのうちに面を決め、勝負に持ち込みます。そして延長に入って小手を打ち村山を下しました。双方全力を尽くした見応えのある決勝戦でした。
さて試合全般の印象では、まずベストエイトの対戦となった4回戦から、見違えるような生き生きとしたレベルの高い展開になりました。これは試合が1試合場になり、試合時間が10分間になったことにもよりましょう。試合時間の延長は効果をあげたものと見ます。
全般として選手の試合ぶりは折り目正しく、好感のもてる試合が続きました。欲をいえば、行儀が良すぎるのではないか、もう少し奔放な技、試合ぶりがあっても良かったという印象でした。
しかし大会としては若手、ベテランがそれぞれ活躍し、女子剣道のレベルに充実を感じさせられ、満足感が残る大会でした。
先月お知らせしましたが、9月15日の敬老の日に、剣道界の七段以上の90歳を超えられた長老に、感謝の書状と、お祝いの品をお届けしました。各剣連にも確認にご協力を願い、216名の方にお送りしました。(名簿は23頁参照)これらの方は戦前から剣道に励まれ、戦中、戦後の苦難の時期を生き抜き、戦後の国と剣道の復興、発展に貢献されました。ここに感謝の意を表し、ご健勝と長寿を祈念します。
世界大会の前年に、開催地において国際剣連の理事会が開催されます。来年の第14回大会を控え、ブラジル・サンパウロ市メルクレ・グランドホテルにおいて、8月30日に開催されました。
会議ではまず書面理事会で承認されていた事務的事項の報告、来年度開かれる大会の準備状況が、国際剣連事務局およびブラジル剣連から報告されました。また欧州での第15回大会はイタリアで行うことが報告されました。
続く審議事項の第1の議題は新規加盟事項で、ここで中国およびイスラエルからの申請について審議が行われ、いずれも満場一致で承認されました。中国が全国組織を造り、国際剣連に加盟したことは、大きなニュースと言えましょう。推薦者は日本および香港で、その内容は次項で紹介します。
つぎにGAISFが提案している、マーシャルアーツゲームズの大会に剣道が参加するかどうか意見を交換し、日本の提案どおり、剣道の理解を深めるための行事を中心として、参加することに決定を見ました。
つぎに第16回大会からの開催地の決定方法、理事の数の在り方について討議し、次回会議に事務局が考え方を提案することになりました。
続いて日本側より、有効打突のあり方、日本の称号・段位審査規則の改正などについて説明しました。またアンチ・ドーピング規則の改定問題などにつき経過報告があり、会議を終えました。以上すべて友好的雰囲気の中で議事を終えることができたのは何よりでした。
翌日は会場、練習場予定地や選手宿泊のホテルを視察、一方でアンチ・ドーピング委員会が開催されるなど忙しい日程を終えました。
中国における剣道は、駐在する日本人を中心に、あるいはその子弟が通う日本人学校において行われ、それに中国人が加わってグループができて行きました。北京・上海の二大都市が中心で、10年余りの歴史を持っています。その後各都市での剣道グループも育ち、ここ数年全中国の剣道大会も行なわれ、国際剣連も援助して、北京・上海などで講習会、昇段審査を行なってきています。
さて一昨年、中国剣道団体が成立、昨年秋に国際剣連への加盟申請を行なっています。この際の剣道人口は1,200名、組織は10とされています。大きい所では、北京と上海がほぼ400名、成都140名、他に広州・大連・石家荘・深圳などの名が見られます。また、延辺などでも行われています。
剣道人口は増加傾向にありますが、組織、技術は未熟であり、今後健全な発達を続けることを願いますが、全剣連としても引き続きできるだけの応援をして行きたいと思います。
①12回目の剣道写真コンテストの入選作品が決まりました。今年は370点の応募があり、ユニークな作品が目につきました。最優秀賞の日本刀鍛造は、初めての題材です。結果は20頁で報告されていますが、このコンテストに毎年多くの優れた作品が集まることは喜ばしく感じられます。入選作品は11月に発売される、『平成21年カレンダー』でご覧ください。ただ、入選作品に大都会からのものがほとんど無いのはどうしてかと思います。
②ブラジルは日本から見ると丁度地球の反対側にあり、季節は冬の終わりです。成田からニューヨークまで12時間、そこから南下して8時間、とにかく遠い場所です。国際剣連日本役員団「七人の侍」は、剣道で鍛えた体で時差も、エコノミー症候群も寄せつけず、立派に仕事を済ませ、1週間の日程を終えました。
会 長 武安 義光