日本列島どこもが最高気温30度以上を記録する、記憶にない猛暑が来たり、台風や不安定な気象の襲来が続くなど、不順な夏でしたが、暦は秋を告げました。皆さん元気でお過ごしでしょうか。
剣道界は毎年のことですが、休暇期を活用した大会など行事が目白押しです。地味ながら、長い歴史を持つ、 全国教育系大学学生剣道大会から口火が切られます。中学校体育に武道が必修科目になった現在、教職に就く者を養成する学校・学部が構成する剣道連盟が、講習を組み合わせた大会として、第45回の歴史を重ねているのは意義あることで、関係者の努力に敬意を表します。
夏休みに入っての恒例行事では、全国の小学生剣士が集う全日本少年少女武道(剣道)錬成大会が、日本武道館で2日にわたって行われます。続いて全日本剣道道場連盟主催の小・中学生を対象にした全日本少年剣道錬成大会があり、北の丸は少年剣士の若い活気で覆い 尽くされました。
また7月末に福岡市で開かれる戦前からの歴史を誇る玉竜旗高校剣道大会は、有望選手の獲得を狙う関係者の注目を集めます。
8月に入ると、全国中学校剣道大会、全国高等学校剣道大会、全国高等学校定時制・通信制剣道大会、全国高等専門学校剣道大会、さらには学校の教職員による全日本学校剣道連盟主催の全国教職員剣道大会が続き、それぞれ全国各地での開催となります。
このほか世界各国の剣道指導者の養成を図る通称サマーセミナーが開かれ、また5月の世界剣道選手権大会を区切りとしての日本選手の強化訓練も始まります。
一方、夏は審査会のシーズンでもあり、東西で開かれる剣道七・六段審査のほか、杖道の審査も行われます。また都道府県剣連主催の五段以下の審査会も各地で行われ、剣道愛好者には気の休まらない季節となりましょう。
さて夏を迎えての電力不足が心配されましたが、火力発電所がフル稼働する電力会社の努力もあり、今のところ小康を得ています。しかし高価な化石燃料を使う火力発電を無理に稼働しており、電力会社の収支は軒並みに赤字、国の貿易収支の黒字は激減、国の経済体力を損耗しつつ供給を維持していることが見られます。
一方、政局は混乱を深めており、予測が難しい情勢ですが、原子力規制庁もやっと発足の運びとなりました。政局に絡めることなく、止められている原子力発電所の安全を早急に再確認し、運転を再開することが国益に適うものと確信します。
新聞報道・テレビ放送はオリンピック一色です。世界各国の若人が競技の場で、全力を挙げて競う姿を放送を通じて目の当たりにでき、お互い元気づけられます。日本選手団は、金メダルこそ少ないが、多くの種目で健闘しています。テレビに映る選手の活躍に睡眠不足になられた向きも多いのではないでしょうか。
期待外れの筆頭は、武道のお仲間である柔道で、男子は初めて金メダル無しの目を覆いたくなる成績です。これまでの進め方の再評価を行って、御家芸として復活することを念願します。
その他の種目では、剣道の仲間といえるフェンシングの団体準優勝には拍手を送りたいと思います。
審判や採点における問題が、いくつかの種目で見え隠れしていました。判定に当たる者への訓練や評価がどの程度行われているか分かりませんが、他山の石として剣道も一層の努力を要します。
さて多くの競技の進行をテレビを通じて、詳しく見て感じるのは、剣道がこれらの競技と異質の品格を持っていることです。日常化しているガッツポーズを代表とする、競技者のマナーを取り上げるまでもなく、挙措動作を含め、求めるところが違うのではないかと感じます。さらに競技の服飾の優美さは、他の競技に比べ際立っています。長年の日本文化によって築かれた、剣道の優れたところを痛感しました。皆さんにも同感頂けるところでしょう。
ここである総合情報誌の巻頭インタビュー『日本のスポーツはなぜ駄目なのか』の指摘を紹介します。答える人は東大教授の八田秀雄氏で、体育学の専門家です。「得意種目の次世代の選手育成があまりうまくいっていない原因が勝利至上主義にある」とし、高校野球への熱狂ぶりと他の競技も似たりよったりで、「長距離走の例でいえば、中・高時代から駅伝で走るためだけのトレーニングを積まされる。しかしこうした練習を続けてきた選手はマラソンでは活躍できない。10代後半での正しいトレーニングがその後の選手生活で重要だということが分かってきた。指導者改革も重要だ」とのことです。
剣道における養成の在り方にも参考にすべき意見でしょう。
夏向きの話として、筆者の少年時代に開催された戦前のオリンピックの昔話をします。昭和7年(1932)に米国ロサンゼルスで第10回のオリンピックが開かれました。世界は昭和初年の経済不況から立ち直り切っておらず、日本もその影響から農村が疲弊、経済は沈滞していました。またテロが続発、前年には満州事変から、この年は満州国の建国と続きました。
オリンピックには、日本も距離的に近いこともあり、大人数の選手団を送りました。しかし当時の日本のスポーツ界は世界水準から見れば貧弱でした。
この中で男子水泳は断然強く、6種目のうち400メートル自由形を除く、実に5種目で優勝、水泳日本の名 を轟かせました。陸上競技でも御家芸といわれた三段跳で金メダル、走幅跳や棒高跳でもメダルを取るなど、跳躍日本の実を上げています。その他の種目では、 馬術の障害競技で西竹一陸軍中尉が優勝、世を驚かせました。
当時の交通事情は現在と雲泥の差で、現地に赴くのは海路により何日もかかりましたが、もっと差が大きかったのは通信技術です。テレビ放送はもちろん先の話、無線通信も未発達で、写真電送が行なわれず、競技の写真も船で運び、房総沖で飛行機で船から吊り上げて速報を競うなどの状況でした。新聞やラジオのニュースの乏しい情報の中、一喜一憂して日本選手の活動を祈ったものでした。
その4年後のベルリン大会の時は技術も進歩し、ラジオ中継も行われ、写真電送によって状況も広く一般に伝えられました。この頃からの科学技術の進歩は目覚ましく、第二次大戦後に至り、現在のいわば至れり尽くせりの時代になるわけです。
この大会は各種武道にわたって行われ、北の丸での夏の風物詩として定着し、本年第47回を迎えます。剣道大会は7月28・29の両日にわたって行われ、全国からの参加者は合計881チーム、約5,000名で、大震災の影響を受けた昨年より回復しています。
武道館を埋める参加チームにはそれぞれ余暇を割いて指導に当たる指導者がおられ、この大会の特色というべき、基本技の打ち込みの良否を競う試合の元立ちを務められます。この審判を務められる多くの方、さらには観客席で応援される家族・身内の方々、それらのすべての皆さんによって、この大会は成り立っているのであり、それらの方が日本の剣道の将来を支えていることが感じられました。
武道館を埋める少年少女剣士(筆者写す)
昭和50年第1回の講習会を行ったこの講習会、回を重ねて来ていますが、3年ごとの世界剣道選手権大会の年には休んできました。今年は世界大会の年でしたが、海外剣連の要望に応え例年通り、北本市の解脱研修センターの施設提供を受けて、7月27日(金)から8月2日(木)までの日程で開催されました。参加希望者を絞って38カ国・地域より58名の参加のもと、猛暑の中で講習を行いました。
講師は佐藤成明範士を始めとする熟達した方々が務められ、献身的に指導に当たられました。講習生は暑い中、実に真面目に日程をこなし、例年以上に効果を収めたとの講師のお話でした。
日程を割いて、日本武道館での少年少女錬成大会の見学も繰入れましたが、母国では体験できない光景は感銘を与えたことでしょう。
この講習会は、日本文化の海外への普及の有力な事業です。実施に際しては講師のほか、通訳に当たられた 方、運営のお世話頂いた方々、宿泊・食事にお世話頂いた解脱会の皆さんなど多くの方のご尽力を頂きました。またJKAよりは毎年補助金を頂いており、それらの方々に改めてお礼申し上げます。
8月の剣道七・六段審査会申込者は前年より増加しています。審査会場が長野・岡山と大都会より交通便利なところであることによりましょう。前年の金沢・福岡に比較して七・六段とも30%以上の増加です。ご健闘を祈ります。
会長 武安義光