2004年5月号

年間購読のお申し込み

今月のまど

桜花に彩られる中、社会生活の第一歩を踏み出す卒業生、新たな大学生活に希望を燃やす新入学生などの男女の若人に、花を見る人々が行き交い、九段坂には最高の賑わいが何日か続きます。毎年のこの風景に緩やかな歴史の流れを感じさせられるこの季節です。すでに3月の会議で新年度事業計画、収支予算も決まりました。各剣連も同様のスタートを切る新年度を迎えておられましょう。全剣連とも春爛漫の中、充実した剣道界を実現するよう事業を展開して行きましょう。

東西の剣道中央講習会で始まる新年度事業

皮切りは例年のように4月第1週に行われる剣道中央講習会です。東は東京武道館、西は神戸市中央体育館で。各地から参集の剣連の代表による、レベルの高い受講者による講習会です。東は67名、西は54名の各剣連で指導、教育の中核になる幹部が参集、3日の日程で、指導法、日本剣道形、審判法の科目について、テキストの重点、修文のあった所、講習、指導に当たっての留意事項などを中心とした講習を終え各地に戻られました。講習を通じて得た知見をもとに各地での伝達講習に一段と厚みを加えて、普及の充実に活動して戴くことを全剣連として切に期待しております。

今回の講習で主催者側は、2月の剣道研究会の成果も取り入れて、内容の充実を目指し、講師も準備に万全を期して取り組みました。この講習会は39回を数える長い歴史を持っていますが、これまで漫然と繰り返されてきた嫌いも指摘されています。この数年の努力によって、テキストや関係資料の充実も目覚ましいものがあります。レベルの高い受講者を対象とするこの講習では、イロハの部分を越えての指導の進め方に重点的を絞って講習する方針を貫きましたが、その目標はある程度達成されたと評価しています。

次回からは講習の能率を高め、時間の配分に留意し、日程も2日に短縮して行い、さらに受講者に都合の悪い4月1日を避けた日程で計画を進めます。

円熟した剣士の戦い-選抜八段戦

昨年に続く選抜剣道八段戦、今年は会場を名古屋市中村体育館に移しての第2回大会、出場剣士も年齢層を高め、円熟した剣士による大会として計画しました。期待に違わずレベルの高い試合が展開され、観る人を堪能させる大会でした。決勝は50才台の剣士による、東北・九州の対決となり、山田博徳教士(熊本県)が優勝、内閣総理大臣杯を獲得しました。

出場剣士はいずれも剣道界を支えている方々、この顔触れで最高レベルの試合ができるのは剣道界ならではのこと。皆さんよく力を発揮して、期待に違わぬ試合で観る人を魅了させて呉れました。

試合の決まり技、第一回戦前半の8試合、面12、小手4、後半の8試合、面1、小手9、胴1、かなりの相違も観られました。来年も4月第2日曜に、同じ場所で行われます。

第100回を迎える京都での剣道演武大会

明治28年に大日本武徳会が発足して早速開かれた武徳祭大演武会は、各種武道を挙げてその後毎年開催されました。現在の武徳殿が明治32年に建立されてから、剣道の部は5月にここを舞台に展開され、大戦末期の昭和19年の第40回大会まで続けられました。そして翌20年の敗戦、連合国軍による占領、大日本武徳会の解散、剣道に対する厳しい措置など、大会開催などは思いも寄らぬ情勢のもと占領期を過ごしました。

主権回復した昭和27年に全剣連が発足、翌年5月戦前の大演武会の復活版である第1回京都大会が始まり毎年回を重ねました。戦前も剣道は大演武会の主役でした。京都大会は戦前の大演武会を踏襲してきているので、これは明治から通算して行うべきものとして、平成4年の第40回大会を第88回全日本剣道演武大会と呼称して行い、その後本年第100回を迎えることになりました。

大会は戦争末期と敗戦後を併せ8年中断したほか、戦前にも中止された年があり、110年目で第100回になりました。戦争など苦しい時代を経た剣道界の歴史を偲ぶこともできる節目の年の大会です。

今回の演武大会の運営など

第100回大会では試合内容に特別の趣向を加えません。前回大会では盛り上がりを作るため、いくつかの特選試合を組みました。今回は全国の剣士が集って、1年の精進の成果を示し合う在来の趣旨に戻り、淡々とした大会として行うことにしました。最後を盛り上げて欲しいという希望もありますが、配慮をするまでもないということに落ち着きました。地味に歴史を噛み締めて祝うことにしており、前号でお知らせした歴史資料「全日本剣道演武大会の歩み-明治期に見る武徳祭大演武会-」を「記念リーフレット」に併せ参加者に差し上げることに止どめます。一方小道場で「剣道の殿堂」関係資料の展示、映像上映、剣道具の製作実演を行うことにしています。

ここで別の問題が提起されました。大会参加者は前年より増加の傾向にありますが、かねて参加者の便を図るため、3日間に割り振られる七段の演武の希望の日を大会申し込みの際取っていますが、初日の四日という希望が激増し200人に上りました。このため4日の演武者が膨れ上がり、主催者は運営に苦心を要することになりました。ここで気付くことは、大会最終日は伝統的に六日ですが、この日はゴールデンウィーク明けで、社会人は一番忙しく、休み難い日であることです。数年前から剣道八段審査を、大会後から繰り上げて行い、多くの人に好評を戴いています。大会期間を繰り上げ最終日を五日にすることができるよう、取り組んでみます。

春の審査会の受審者は増加の傾向

5月に行われる各道の段位、称号審査の申し込みが締め切られていますが、すべての審査会で前年春を上回る結果になりました。特に2日の剣道八段審査会には昨年春を1割以上上回る、1千3百人と過去最高の方が挑戦されます。特に今回からその日のうちに剣道形の審査まで済ましますから、かなり遅くまでかかりそうです。審査への挑戦者の増加は、愛好者の熱意の高まりを反映するものでもちろん歓迎すべきことでので、運営側も一層気合いを入れて当たり、審査員にも努力を願いますが、運営がスムーズに進むよう受審者にもご協力を戴きたく存じます。

いずれの審査も、合格者の数が決まっている入学試験などと違う資格試験ですから、受審者各位のご健闘により、厳しい基準をクリアーして多数の方が合格されることを念じております。

剣道審判講習の講師認定書を交付

3年前から回を重ねている、試合・審判講習の講師要員の研修が一巡し、今回34名の方に認定書を差し上げることになりました。これにも定員があるわけでないので、研修の継続とともに人数が増えて行きましょうが、講習事業への必要度と講習での実績を考慮して認定の数が決まりました。これらの方には今後各地での講習において実績を上げて戴くことを期待します。

断片

(1)「競うライバル物語」

3月22日から産経新聞に連載された「競うライバル物語」をご覧になりましたか。各種のライバルを題材としてきたこの企画は、剣道の宮崎正裕、宮崎史裕兄弟を取り上げ、一ページの半分を使った5日間の連載ものは内容もしっかりした読み応えあるものでした。担当は広島支局の若い女性の池田祥子記者で、ご本人に剣道の経験はないそうです。続いて4月11日に東海大相模高校前でパン屋を開いていた佐藤さんの話で、そこに出入りした高校生時代の正裕兄の澄んだきれいな目が印象的だったなど、微笑ましい思い出が紹介されました。

(2)先月のこの欄で紹介した日露戦争100年の記、大事なことを落としました

先月のこの欄で紹介した日露戦争100年の記、大事なことを落としました。大戦末期の昭和20年の3月10日、陸軍記念日を狙った米軍の東京下町への無差別大空襲。東京の東側は灰燼に帰し、10万人もの犠牲者を出しました。59年前のこの日の出来事を、つらい思い出として持ち続ける方もおられましょう。

(3)花見

年度の境をはさんで見事に咲いた桜を愛でての事務局恒例の花見、3年ぶりに天気に恵まれた3月29日夜、靖国神社大村益次郎銅像の下の定例の場所、夜桜を仰ぎつつ一同新年度に向かっての浩然の気を養いました。

(4)フレッシュマン

この4月久方振りにフレッシュマン国士舘大修士卒吉本心太郎君が事務局に加わりました。広報・文化関係の仕事に配属されました。

ページトップへ

  • 全日本剣道連盟公式Facebookページ
  • 全日本剣道連盟公式Twitterページ
  • 全日本剣道連盟公式Youtubeチャンネル