記念すべき今度の大会、これまでにない多数の参加者で岡崎地区は連日賑わいを見せました。5月4日の剣道の部開会の日には剣道界と剣道人の安泰を祈願する恒例の武徳祭が平安神宮で行われます。この日は折悪しく朝から雨になりましたが神宮から会場への戻り道、この時だけ開かれる南門にさしかかりました。傘を片手に門を透して望む武徳殿は、濡れた瓦で一段と落ち着きを見せた荘重な姿でした。明治時代から歴史を重ねてきたこの大会、100回を超えて今後もこの武徳殿を舞台に開き継がれて歴史を重ねることを確信しました。
大会はこの日の参加者が膨れ上がり、終了は午後7時になりましたが、2日目からは順調に進んで6日午後4時に幕を閉じ、来年の再開を約して散って行きました。
大会を顧みると、収容力の関係ではありますが、参加者の演武時間が抑えられていることはお気の毒です。さらに初日の居合道の演武における過密な状態は、危険防止の観点からも対応を要するものと指摘されており、次回から改善措置を講じる必要があります。
さて先月取り上げました大会日程の1日繰り上げ問題、幸い大阪における都道府県対抗剣道優勝大会の日程の繰り上げの見通しもつき、おおむね実現可能となりました。予定して戴きたいと存じます。
さてこの記念大会の開始式には京都府知事、京都市長からの祝辞も戴いています。大会運営に尽力戴いた京都府剣連の方方とともに厚くお礼申し上げます。
大方の予想になかった岡山県が優勝した第52回大会は、多くの県に今後の励みを与えるものでもありましょう。決勝戦で岡山県に敗れて二位になった千葉県も記録を振り返っても不思議と思われるほど入賞歴がありません。この両チームに共通しているのは、女子選手の充実で、試合は先手を取り押し切るパターンで勝ち進みました。千葉県は連続優勝の下馬評が高かった大阪府を前陣で圧し、その勢いを以て大将戦を制しました。決勝戦では女子で2勝した岡山県が、千葉県の後陣を危なげなく押えて優勝。国体開催を控えての強化の成果もあったことでしょう。47年前、現相談役の石原忠美範士が大将として出られた時以来の岡山県の優勝を祝します。
ベスト8に残ったのは、以上の3府県のほか東京都、兵庫県、神奈川県、京都府の実力を誇る大所ですが、山梨県がこの一角に食い込んだの昨年に続く健闘というべきでしょう。
この大会は6年前に、女子選手が加わるようになってから、その活躍ぶりが勝敗に大きな影響力を持つことになりました。このことは各府県の総力戦であるこの大会の特徴になりますが、さらに団体戦の面白さを示す大会として続けられることになりましょう。
段位審査の目玉は、杖道、居合道、剣道の八段審査です。このうち人口の多い剣道八段審査は秋にも行われますが、杖道、居合道は年1回の八段審査であり、5月4日に京都市武道センターで行われ、杖道は1名、居合道は8名が合格しました。
5月2日が定着した剣道八段審査は、これまで最多の1千3百人の受審者が挑戦する大型審査会になりました。八会場での一次審査の結果、95名の合格者により、3会場での二次審査を行い、さらに合格者による剣道形の審査の結果、14名の合格者という狭き門を通っての新八段が誕生しました。
今年の八段審査から、六、七段審査と同じく学科審査を省き、また翌日講習を行った後に実施していた剣道形審査を、当日実技を終えて直ちに行うことにしました。またこの際刃引きを使用せず、木刀によることにしています。これについては日本刀を原点とする剣道の最上位の実技審査においては、刃引きを使うべきとの意見があります。しかし今回木刀を用いたのは、審査の独特の雰囲気の中で競争者の立場にある初対面の相手と、刃引きで形を打つことによる危険を回避するためです。
そもそもすべての要件を審査の場に持ち込み評価しようとする、いわば完全主義には限界があり、実用的に可能の範囲で最善の方策を取るという考えを基本にしました。修業として必要なことは審査以外の場で研修し、あるいは各自が勉強し易くする方策を考えるのがよいと思っています。平成4年より前の八段審査では、形の審査を行っていなかったのはこの考えによるもので、それまでの八段合格者が特に不完全なものとみられていないのはご承知のとおりです。
それよりも八段実技審査の在り方につき、一次と二次審査の役割の違いについての指針を作り、審査員の見方を統一することが必要との意見が高まっています。また若手の受審者に一次審査でもっとチャンスを与えるべきとの意見も根強くあります。今後さらに増加すると見られる受審者への対応策とともに研究課題とします。
六、七段審査の方は順調に滑り出しましたが、六段受審後に昏倒、救急措置を受けられた方がおられます。幸い応急措置も適切に行われ回復の方向にあるとのことですが、原因調査、対応の可否を検討します。
このあと名古屋での審査結果を見て、春の段位審査を総括します。
5月4日の称号審査会では、杖道で3年ぶりの範士、居合道で昨年と同じ2名の範士が誕生しました。つぎに5月7日の剣道範士審査では、昨年を上回る9人の範士が生まれました。ここでこの審査の経過などについて報告します。
審査規則での範士受審資格は、剣道八段取得後8年以上の教士受有者とされていますが、本年73名の該当者が居られました。まず全剣連は登録剣連から候補者として36名の推薦を受領しました。その内容を執行部として検討すると、いくつかの剣連で年功序列が重視され、若手の適材が漏れていることが痛感されました。そこで協議の結果、規則第9条に基づき、全剣連会長として候補者の追加推薦を3年ぶりにを行うことにし、八段取得後10年以内の適格と認めた方を審査会に推薦しました。
範士審査は、選考委員会より推薦された範士7名、学識経験者3名によって行われます。例年のように審査員による候補者全員の4項目の評価に基づく総合評価の予備調査書を提出戴きました。集計の結果10名の方が範士候補としてすぐれているとの評価があり、それ以外の方と目立つ格差を示しました。この結果を発表の上、全候補者についての本審査を願い、審査員8名以上の同意を得た9名の合格が決定されました。
以上の審査結果は、基準を緩和してのことでなく、範士として適格である人材が育っていることを審査員全員が評価認定したものです。昇格された方々にはお喜びを申し上げるとともに日本の剣道発展のために今後尽力戴くようお願いするものです。また推薦にあたる各剣連には、地方事情は理解しますが、全国的視点での人材推薦を特にお願いしておきます。
警視庁首席師範を務められ、全剣連役員として第11回世界剣道選手権大会の日本男子チームの監督、また第12回大会の選手団長を努めて戴き、強化部門などて多くの業績を挙げられた西山泰弘さんが亡くなられました。剣士の道を一筋に進み、古武士的人格を貫かれた西山さんの余りにも早いご逝去を悼みご冥福を祈ります。
演武大会に大勢の韓国からのお客さんが見えました。李会長をはじめとする剣道会幹部以下総勢23名の方々で、5月5日の昼過ぎまで七段の演武を観戦されました。全国の剣士が楽しむお祭りでもあるこの大会の雰囲気を味わって戴けたと思います。
京都行事のあと橿原神宮に詣りした。戦前の昭和15年、紀元2千6百年を記念しての全日本学生剣道選手権大会が開かれ、これに出場した思い出の地で、荘厳な神域には変わりありません。会場になった当時肇国会館といわれた建物は、昭和天皇の即位儀式のため京都御所に建てられたものを移設した立派な建物でした。近年まで健在でしたが、台風で破損、取り壊されたとのことでした。試合の後奈良市に行き、木村篤太郎、伊藤京逸などの諸先輩が会食中の奈良ホテルに押しかけ、一行でご馳走になったものです。今回もこのコースを取り、池のほとりのホテルレストランに行き、昔の風情を偲ぶことができました。
かねてご病気療養中であった監事半田利一郎さんが5月11日に亡くなられました。税務、経理に明るく、理事としても長年全剣連のため尽力され、近年は杖道の面倒も見てこられました。謹んでご冥福をお祈りします。