9月25日、鹿児島市鹿児島アリーナで、第51回全日本東西対抗剣道大会が開催されました。昭和42年の当地大会から38年ぶりです。
出場剣士の中から鹿児島県剣連副会長として今回の大会の運営に尽力された児嶋克さんの名を中堅に見出しました。さらに児嶋さんは特別選抜個人試合で準優勝となる活躍をして居られます。
さて大会の前日には、噴煙をあげる桜島を囲む錦江湾を見下ろす城山のホテル会議室で毎年の例により、相談役会、審議会、理事会を持ちました。またこの機会を利用して、九州地区の各剣連会長にご参集を願って懇談会を開催しました。
また、心配した台風は東に進路をとり、関東沿岸をかすめて去り、鹿児島は好天気に恵まれて大会当日を迎えることができました。
この大会には平成4年の第38回大会より、女子選抜試合が加えられ、翌5年の第39回大会より、それまで行われていた引き分けを無くし、すべて勝負を付けることに改めて今日に至りました。
しかし全国から選ばれた高段の円熟した剣士による最高の対抗試合の活性化を進め、一層の魅力ある大会にするため、全剣連の規則で原則としている三本勝負の試合が行えるよう、時間制限を無くす方向で検討してきました。その趣旨は9月号の本誌「まど」に記して居りますのでここでは繰り返しません。要は時間切れで結果的に一本勝負にならないようにすることです。
先月号にはその方向で試合を行うことを「まど」にも記載しましたが、最終検討の結果一足飛びにそこまで踏みきるのは、実行上の心配もあることから、直前に次善の策として従来の5分の試合時間を十分に延ばすことにより、目的に一歩近付ける方法を取ることで実行されました。
大会の結果は女子は4対1で西軍の連勝、メインの男子は22対13で東軍が前年の雪辱を遂げました。35試合のうち延長に持ち込まれた試合はわずかに6試合、二本取って三本勝負を達成した試合は全体の3分の2を超す24試合となり、前年の12を大きく上回りました。逆に一本勝負で終わった試合は前年の23を下回る11に止どまりました。さらに35の試合を通じて決まった有効打突の総数は、今回は67本で、前年の50本を上回り、試合の見せ場も多かったことを示しています。
そして時間による制限を気にすることが少ない中、伸び伸びとした試合が展開され、選手にとっても観客にとっても良い結果をもたらす大会になったと思います。
最後になりましたが、小里会長のもと総力を挙げて実行を支えて下さった主管の鹿児島県剣連の皆さんに厚くお礼を申し上げます。
平成7年に第1回初級認定の講習会を東京都NTT中央研修センタで行って以来10年を経て、上級講習会を実施する段階に到達しました。第1回の初級参加者を中心として多数の希望者があったため、年齢も考慮して参加者数を絞らざるを得ませんでしたが、9月30日から始まる3日間の講習会には、1人の欠席者も無く62名の受講者が勝浦市の日本武道館研修センターに顔を揃えました。
講習日程が限られているため、受講者には事前の学習が求められており、それに対する試験も行われるなど、最上級の講習としての厳しい内容が課せられています。この講習にはその後の指導活動における権威も期待されるため、厳重な合格基準が設けられています。結局合格者が43名、一部の科目の再受験を求められる方が11名となり、それ以外の方はお気の毒ながら再度挑戦いただく結果になりました。
この講習には講師陣も、熱心な準備の上臨んだのですが、いくつかの検討課題を残しています。ともあれ平均年齢が64歳になる受講に挑戦された方々の熱意と挑戦の意欲には無条件で敬意を表しますが、これが今後の日本の剣道発展の有力な原動力になることを確信させられました。資格を取得された方々にお慶びを申し上げ、今後のご加餐を切望します。
7月に役員が決まってから、夏のシーズンに入ったため正式決定が遅れていた、役員の担当を9月24日の理事会で決定しました。必要な分野については、すでに7月の理事会において主任の方を指名したので、業務執行上の問題はありませんでした。内容については別に記載しております。この顔触れにより今後全剣連業務を積極的、能率的に進めて行きたいと思います。
新たに杖道担当の主任として田原常任理事を委嘱、居合道、医・科学については担当役員として大谷専務理事、加賀谷副会長を事務取り扱いとし、資料、情報、広報には岡本常任理事、長期構想会議は加賀谷副会長にお願いしています。辞意表明があった竹内常任理事の国際関係は、福本常任理事が事務を取り扱います。
専門委員会ならびに委員のメンバーも同日に決定されました。強化委員会を新設するほか、問題が重視されているドーピング対応の委員会を別立てで発足させます。委員会のメンバーについても別記事を御覧下さい。
ここで専門委員会の役割と、委員の人選について触れておきます。今回の人選にあたり、専門委員会の委員長は、役員がすべてあたるべきであり、審議員その他の人に担当させるべきでないという意見が会議で出されました。これは執行と専門的調査研究の業務の性格の相違に対する理解不足に基づくものと思われます。
現業関係において担当の主任役員が、委員長を兼ねるのが慣例のようになっていますが、これは業務の性格上の便宜的なことで、取り扱う対象は、執行部としての担当役員と、調査研究にあたる専門委員会とは当然異なってきます。審判員、講師の委嘱、行事の実行などの事項は役員として処理すべきことで、専門委員会の所掌範囲ではありません。いわんや委員会は主任役員の補佐機関ではなく、剣道界において専門的に最も権威ある機関として存在し活動すべきものです。
これまでも特別の領域、特別の問題を扱う場合、役員以外の審議員を含む方に委員長をお願いすることは行われてきました。無理に人事を限定することによる、専門機関としての存在の矮小化は避けなければなりません。
本年度の新事業として始まる特別講習の人選が終わり、11月下旬の第1回講習会の準備が進みました。この計画は試合中心の錬成が盛んな現在の剣道を是正して、日本剣道の今後の屋台骨となる若手剣士の育成を目指します。今回は高校生以上、原則23歳までの有望剣士を各界から60余名選抜し、来年度まで繰り返し訓練を重ねようとするものです。
山田庚児会長は、さる10月3日日に急逝されました。山田さんは新潟県の剣道振興に長年にわたり、尽力され多くの業績をあげられました。全剣連とのご縁も深く、その間30年以上にわたって評議員を、また計四期にわたって理事も務めていただきました。
会議では厳しい独特の口調での論客として知られていました。お隣りの長野県の故古村会長と並んで、剣道界での異色ある存在だったと思います。8年前に会長になられてからは、全剣連連の施策をよくご理解、ご協力戴きました。剣道界の発展を地方の立場から、長期にわたって支えられた長老をまた1人失ったことで哀惜の念に耐えません。ご冥福を念じます。
①鹿児島を訪れた機会に足を延ばして鹿屋体育大学を訪問しました。良き環境のなか充実した人材育成が行われている様子の一端に触れ、心強く感じました。
②大学から南に下って海上自衛隊の航空基地に参り、見学のあと隣接の記念館を訪ねました。戦争末期に多くの海軍特攻機が飛び立った最大の基地であり、戦士の名前と遺影が飾られています。皆25歳以下の若者、当時私も同世代でした。粛然、感無量とならざるを得ませんでした。
③他の1日、薩摩半島の陸軍の特攻基地であった、知覧と万世を訪れ、両方の記念館で、同じ感懐に浸り、印象深い鹿児島旅行を締めくくりました。