昭和天皇の御誕生日である4月29日が、今年から64年の昭和を偲ぶ「昭和の日」になりました。戦前派にとっては天長節であり、四大節の1つの重要な祝日でした。
昨年からこの日に歴史ある団体戦の全日本都道府県対抗剣道優勝大会が大阪市体育館で行われ、ゴールデンウィークの一連の行事の口火を切ることになりました。今年は天候にも恵まれ、すべての行事を順調に進めることができました。全国からの剣道人にとっても満足できる1週間だったと思います。主催者側も肩の荷を降ろして一安心しております。
この大会は昭和27年秋に発足した全剣連が、初めての全国大会として企画し、翌年5月に京都旧武徳殿で開催された最も古い大会です。
その後会場を大阪に移して続けられ、本年第55回を迎えました。平成10年から女子剣士2名を加え、職業、年齢別に7名の選手の組み合わせで、各剣連が総力を競う大会になっています。
昨年に続く連覇を目指す東京都ですが、4回戦で意気盛んな千葉県に圧倒され、先鋒から3名が完敗して挽回成らず退きました。
準決勝戦は千葉県が、茨城県を圧倒、一方昨年3連霸を逸した岡山県が、充実した戦力を以て勝ち進み、地元大阪府に挑みました。この大会では前陣に配置される女子選手の活躍が戦勢を左右します。前陣の充実に定評がある両軍の実力選手の激突が興味を引きました。先鋒の馬場(大阪)が坪田(岡山)を下して機先を制し、接戦の末大阪府が決勝に進みました。
決勝戦は、3年前の二位が最高で初優勝を目指す千葉県が、古豪大阪府に挑戦しましたが、千葉県が素晴らしい元気で前陣で大阪府を制し、リードのまま後陣に進みました。副将同士の対戦で大阪府が二本勝ちし同点で優位に立ち、そのまま本数勝ちで千葉県を下し、4年ぶりで14回目の優勝を飾りました。
優勝戦らしい見応えのある試合でしたが、山場だった副将同士の試合での審判の判定に対する疑問として、判定は逆だったのではないかと言う所見が雛壇の大会関係者から出されました。もしそうであれば千葉県が初優勝を逃したことになります。判定は審判員の責任で行われていますから、試合自体は合法的に成立していますが、何か後味の悪いものを残した結末でした。
さてオシドリ剣士、今回も5組が活躍されました。大会の名物にもなったのは心強い限りです。
明治28年に始まり、戦前毎年5月に開催された武道演武大会、戦後昭和28年、剣道行事として京都大会の名のもとに、明治32年完成の武徳殿で連綿と続けられた剣道演武大会は、本年103回を数えます。毎年3千名の剣道家が全国から集う4日間の大会は、剣道文化の華としてお互い誇りにしてよいものではないでしょうか。あるいは更に日本文化として誇れる行事と感じます。お互いその意義をまずは剣道関係者が認識して育てて行きたいものです。
今年の5月3日の開始式には、京都府剣連会長をお引き受け頂いている、伊吹文明文部科学大臣もご出席挨拶を頂きました。大会に出場の方、運営に当たられた京都府剣連の方々のご努力を深謝します。
春の剣道八段審査会は、5月1、2の両日にわたり、西京極の京都市立体育館で行われました。今年は増加する受審者に対応して、2日に分けて行い、受審者の希望により受審の日を選択して貰うことにし、両日ほぼ同数の申し込みになりました。
第1日の受審者は674人、第2日の受審者は666人であり、総数では前年春に比べ微増になりました。審査は両日とも6会場で、年齢別区分による組み合わせによる例年の要領で行いました。一次審査の審査員は36名で、両日とも同じ組み合わせです。
さて1日目の一次合格者は41名、二次合格者は7名になりました。2日目は一次合格者50名、二次合格者は9名となりました。2日間の実技合格者の合計16名はいずれも厳しい結果ですが、一次合格者数とともに例年並の比率ということです。
両日の審査で、ほぼ同様な基準で審査が行われたのは、審査員の評価基準がまず安定したものであったことによるものと見られます。二次合格者は、剣道形の審査を経て全員合格の結果になりました。
2日間の審査全般を顧みると、まず会場が例年の8、9会場に比べゆとりが感じられ、運営にも余裕ができ、落ち着いた審査になったとして、受審者、審査員の双方に好評だったようです。
そして2日間を煩わすことになりますが、これまでの重労働ともいえる長時間の審査から、1日の審査人数を少なくなったことは、審査員の負担を軽くし、審査の質の向上に繋がることが期待されます。特に審査会場を少なくすることから、これまでの資格ある範士総動員の状況から脱却できたことも審査員選考でのメリットです。
以上のように、今回の八段審査は一応順調に終わりましたが、審査の質の面で適切に行われるよう主催者としてさらに努力を要するものと感じます。まず一次審査と二次の審査における視点、基準をどう考えるのか、必ずしも統一した見方が確立していないように見えます。また会場ごと、審査員ごとの配点が合理的かどうか、などの点を検討して向上を図ることが必要を感じました。
「八段審査における話題いくつか」
まず取り上げるのは、80歳の緒方仁司氏(熊本)が合格されたことでしょう。これまで年配で挑戦された方は多く、一次を突破された方もありますが、最終合格の方は近年無かったと思います。現行規則になって初めての快挙と言えます。
つぎに合格者を職業別に見ると、警察官が近年になく多数でした。16名の合格者のうち13名を警察官、関係者が占めました。警察に人材が多いのは頷けますが、今回は特別です。昨年秋は10名のうちわずか3名、昨年春も19名の合格者のうち、9名に止まっています。反面、教職員は不振です。この状況、今回はデータの提示に止どめます。
これまで七、六段審査に行って来た、審査の不合格の方への審査情報の提示を今回から剣道八段の一次審査についても行うことにしました。会場受付にはがきを用意し、希望の方は、自宅のあて先と、自分の受審番号を記入して提出して貰い、後で事務局で審査結果を三段階の文で記入して返送するやり方です。六、七段審査の場合とほぼ同じ、約3割の方の申し込みを頂きました。
4月29、30の両日、八段に先立って七、六段審査が行われました。
合格率は剣道六段11.5%、剣道七段8.4%で、合計198名の方が合格されました。
5月3日には杖道、居合道八段審査が、武道センターで行われ、杖道2名、居合道10名の方が新八段として合格されました。杖道では矢野多衛子氏(神奈川)の女性八段が誕生しました。
「杖道、居合道、剣道称号審査が行われ新範士誕生」
5月3日には杖道、居合道範士の審査会が行われ、錬士、教士の他杖道1名、居合道2名の新範士が選ばれました。
演武大会終了後の5月6日午前には剣道称号審査会が行われました。
錬士審査では304名が、教士審査では筆記試験合格の131名の方が合格されました。
特記すべきは社会体育上級資格取得者に対する教士筆記試験免除の特典による8名の方が合格されたことです。
さて剣道界の段位、称号を通じての最高位とされている範士審査はすでに杖道、居合道で厳しい審査の結果前記の合格者がでていますが、剣道範士の審査には各剣連から58名の多数の候補者の推薦があり、これらに対する審査が行われました。
審査の手順として、10名の審査員に、全候補者に対する予備評価をして貰い、その結果を集計して報告し、これを参考にして審査員が独立して、本審査を行い合否の判定をします。そして審査規則に基づく合意者の基準により、5名の方が合格されました。
合格者の数は居合道とともに昨年より減少していますが、これは適格者が少なかったこと、現行の規則に示されている基準に準拠した厳格な評価を各審査員が行われた結果で妥当なものと見ています。新範士として84歳の高崎慶男氏が合格されたことは、八段審査での緒方氏の合格とともに特記すべきことです。
西村守正審議員が「前島賞」を受賞
郵政、通信事業の功績者に授与される「前島賞」をこのたび西村守正さんが受け表彰されました。前島 密氏は明治初年、日本の郵便、電信事業の創設に努力され、日本郵便の産みの親とも言われる方で、郵便という日本語もこの方が作られたそうです。前島賞はその功績を記念した権威ある賞で、西村さんの受賞をお慶び申し上げます。