「今年は暑かったなあ」。
顔を合わせた時の決まり文句でしたが、皆さん元気に過ごされたでしょうか。
さて夏を振り返りますと、何と言ってもまず政治で7月の参議院選挙での自民党の予想を超える大敗が挙げられます。秋を前にしての安倍内閣の改造では、閣僚入れ替えで内閣強化が図られました。この際、教育改革を担当される伊吹文明文部科学大臣(京都府剣連会長)が、数少ない留任閣僚の中に入られたことは、我々の意を強くさせるものです。今後のご奮闘を期待します。
続いて中央教育審議会の部会で、中学校の体育でこれまで選択科目であった武道を、必修科目として取り上げる方向で答申が纏められていることが報道されました。すでに武道協議会でも政府に要望してきた所であり、武道のあとにダンスがついているのに多少違和感がありますが、基本的にはわが意を得た明るいニュースで、その実現を切望します。
さて改正された教育基本法では、要望が強かった「愛国心の涵養」に代わるものとして「わが国の伝統と文化を尊重し、それをはぐくんできたわが国と郷土を愛する心」としておりますが、ここに掲げられた[伝統と文化]の所産である武道を必修にすべきという考えと聞いています。しかし武道にはいろいろあり、今後の問題としては、その教育を強化できる素地があるかどうかが問われましょう。
武道には「道」の字を付けながら、オリンピックのメダル獲得を至上とする競技化が進み、国際化の流れに埋没しかかっている柔道の例があり、この方向を見習おうとする種目もあるのも気になります。
幸い剣道界は競技化の行き過ぎを憂慮し、人間形成の修錬を理念とし、全剣連はこれを受け人造りを目標に掲げて事業を進めて来ました。なお一層の努力を要しますが、「剣道指導の心構え」の策定、社会体育指導員の養成、若手剣士の錬成、指導書の改訂や充実、教員や指導者への研修の強化などを実行してきました。これらの施策は逐次実績を挙げつつあると見ています。
このように今後の事態進展に応えうる態勢はできつつあり、剣道の出番は整っていると申し上げてよいと確信しています。お互いさらに努力を重ねましょう。
警察官・刑務官などの公務員・教員・会社員・学生・高校生などから、25歳までの将来性ある若手剣士を選抜し、2年間の錬成を行うのが、「選抜特別訓練講習会」、俗称骨太剣士養成講習会です。
この事業は2年前に始まり、今年2月第1期2年間の講習を終え第2期の60名の講習生を選び、第1回講習会を8月30日から4日間の日程で、大津市の滋賀県武道館で開催しました。やむを得ない事情の欠席者を除き、45名の剣士が参加、充実した講習を終え、選ばれた講師・役員も今後への十分な手応えを感じる内容でした。
第46回全日本女子剣道選手権大会は、名古屋から静岡県藤枝の県武道館に移って3年目となりますが、奇しくも埼玉県村山千夏選手が3度目の優勝を飾りました。
3連覇は女子剣道草創期の昭和44年の大会から優勝を続けた桑原永子選手から36年を経ての2度目のことですが、女子剣道のレベルが高まった現在、連覇も難しい中、33歳という年齢での3連覇達成は偉業です。
前回までの試合ぶりに比べ、本年は守りの堅さに加えて、間合いが見え好機を逃さぬ長身からの面が決まって、肉薄する相手を次々と退けた立派な試合ぶりでした。
今年から女子大会の試合時間を男子並みの5分に、準決勝以後は10分に改めましたが、その効果は時間の制約に煩わされることが少なくなる、よい結果を生んだと見られます。
村山対地元の内田さくら選手の対戦となった決勝戦は、開始まもなく村山の面が決まったのですが、これを取り返す小柄の業師・内田が肉薄する白熱戦は見応えあるものでした。あるいは一本と見られた小手もありましたが、結局村山が防ぎ切りました。時間延長の効果ともいうべき好試合でした。
この他ベテランの進出が目立ち、3分の1を占める初出場選手の目立つ活躍がなかったのが残念ですが充実した大会でした。
8月24、5の両日、中国上海市で、昨年に続き国際剣道連盟による剣道講習・審査会が行われ、視察の機会を得ました。中国大陸南部の各地の剣道グループからの参加剣士約150名、熱心に受講、また審査に挑戦しました。
初心の人々が多いため、審査は初段が主でしたが嬉々としての受審でした。「ここで皆さんの取った段は、海外のどこへ行っても通用しますよ」と挨拶し激励しました。若い人が多い和やかな楽しい集いでした。
地元上海以外に、抗州・蘇州・温州・寧波・昆山などの都市のほか、戦前派にはまさかと思わす重慶や成都からも駆け付けており、剣道の広がりを実感させられました。これらには多くの日本人駐在者の剣道愛好者の努力が見逃せません。願わくば、これらの組織とメンバーによる横断的、健全な組織ができることを期待します。
夏の1日、長野市に統合されている松代を訪ねました。
大河ドラマ「風林火山」にしばしば登場する真田家は、乱世の世を巧みに切り抜け、徳川幕府に重用され、信州松代の十万石城主として幕末に至りました。
松代藩は代々教育に熱心で、佐久間象山などの人材を出していますが、世情混沌の幕末安政2年(1851)に、藩士の子弟養成のための藩校、文武学校を設立しました。名前のとおり文に偏らず武術も重んじ、15歳以上の子弟に、剣術・槍術のいずれかを修行させました。
ここからは明治時代に活躍した多くの人材が育っています。世の移り変わりから文武学校の名はまもなく消え、組織は変遷しましたが、施設は教育用に明治に至るまで活用され、現在史跡として残り、150年前の姿を留めています。
剣術所は、幅十間、奥行き二十間程と見られる広い立派なもので当時の道場を偲ぶことができます。この時代青少年たちが竹刀を振るっての稽古が目に浮かびます。
若い剣道愛好者厳さん・王さんのご案内で、庶民的な食堂に行きました。
人気の「避風塘」という15もの店を持つチェーン店の1つで、日曜の昼時満員の混雑でした。テーブルの上の敷き物に記されているメニューには、料理が5・60、あと飲み物・デザート・酒など併せて100余りが記されています。
値段は1品10から30元です。(1元は15円くらい)。楽しい食事ができました。