さすがの猛暑も去って秋を迎えました。「暑さ寒さも彼岸まで」とはよく言ったものです。
辞職された安倍総理の後任として、さる9月25日福田康夫氏の自民党総裁就任が決まり、党首脳役員が選任されました。
要の幹事長に伊吹文明前文部科学大臣(京都府剣連会長)、古賀 誠氏(福岡県剣連会長)が、党四役の一つになった選挙対策委員長に就任されました。重要な役職へのご就任をお慶び申し上げ、与党にとって困難な情勢の中、国政の発展のため職責を果たされることを念願します。
また文部科学大臣には渡海紀三朗氏が新任されました。教育改革の基本路線はすでに引かれておりますから、教育の充実、特に武道教育の充実を実現して頂きたく、また全剣連を離れて科学技術の振興にも力を発揮されるようお願いしたく存じます。
ところでこの夜は仲秋の名月、たまたま剣道関係有志の月例の集まりがあり、新宿の高層ビル49階の窓から、久方振りの満月を満喫しました。これぞ日本の伝統文化の実践と称して談論風発の時を過ごし、また当日重責を担われた方の門出も祝ったことでした。
さて大会が目白押しの時期で、まずは53回目を迎えた全日本東西対抗剣道大会が水戸市の茨城県武道館で開催されました。
この大会プログラムの表紙は、幕末に藩校弘道館を開いた水戸藩主徳川斎昭の書、弘道館に掲げられた「藝於游」で飾られていました。
ここで斎昭に重用され、その活動を支えた儒学者の出の藤田東湖を思い出します。東湖が残した多くの著書の中の「常陸帯」に当時の剣術に触れた一節がありますので、以下一部を抜粋します。
「百年あまりこの方、面小手胴といえるものいできてよりそのわざ日々に強くなりぬ。……素肌にて木刀刃引きもて勝負を試みるはたけきやうなれども、十分に打ち出せし太刀中りなば立所に命を失ふべし。……木刀刃引の勝負はその名のみ強くしてその実は弱し。……君の御世に至りて年年試合も行われて今弘道館の三流専ら試合のみ学ぶことになりし。……鬼の子のごとき少年むれむれといでくるぞ心地よき」
これは竹刀打ち剣術の効用を述べているのですが、従来の形中心の剣術教育から、在来武術家の抵抗を押し切って、現代剣道の前身である竹刀打ち剣術に改革した結果、「その技凄絶なる」と効果を挙げた苦心の記録でもあります。150年余り前の幕末の水戸藩で、現在に近い竹刀剣術が行われて、積極的に人材養成に取り入れられたことは現代剣道の前史としても興味を感じさせられます。
さてその流れを汲んだのでしょうか、長い歴史の少年大会も続けられるなど当地は剣道が盛んで、剣道初段取得者数でも茨城県は増加傾向にあるとのお話で何よりと歴史の重みを感じました。
前置きが長くなりましたが、今年の大会は内容とともに、対抗試合として予断を許さぬ、最後まで観る人を引きつけた、久し振りの魅力ある展開になりました。先月号の『剣窓』編集子の記事にピッタリの展開になったのは、選手各位の奮闘の結果、この大会の趣旨通りの内容だったと言えましょう。
さて東西対抗という取り合わせ、以前は東西の剣風、間合などの差が目立ちましたが、近年はかなり均一化しているようです。そして選ばれた選手は現在の所属に依っており、出身地は混在しています。男子選手東軍35名の出身地には9名の西日本出身者がいるのに対し、西軍には東日本出身者が1名しかいません。むしろ西軍の過半数の20名、東軍の7名が九州出身であり、九州が剣道人材の供給地になっていることが窺われます。またそれらの剣士が、試合で好成績を収めているのも目立ちました。
試合の運用は、2年前から試合時間を10分にして行ってきました。そしてこの大会でもその効果が見事に現れました。35試合のうち負傷中止の1試合を除き、ほぼ半数の17試合が三本勝負での決着になりました。特に東軍が勝利を決めた最後の範士の大将戦は、一本を先取されながら、二本取り返して逆転したもので、従来の5分であったならば、勝敗が逆になっていたでしょう。全般的に時間に追われない角逐が続き、観る人に三本勝負の魅力を満喫させてくれました。
9月6日の理事会で、新編成の専門委員会のメンバーが決まりました。この顔触れによる委員会活動がつぎつぎと始められています。今回はほとんどの委員会で、委員長が代わり、若手委員が加わったそれぞれの委員会では、前期の委員会の活動と申し送り事項を踏まえて活発な議論が進められています。
専門委員会に期待されるのは、現場での実態を踏まえた高い専門的論議で、ここで集約された結論が剣道界を代表できる意見として評価される内容であって欲しいと思います。
9月号に続いて、今回は実施の在り方について取り上げます。
平成12年に改定された現行の称号・段位審査規則の審査実施面で、最も重要な点は2つあります。
まず審査の公正な実施を図るために審査員の責務を示し、さらに審査の実施に当たり、全剣連ならびに加盟団体におけるその選考を重視したことです。このためそれぞれの会長が任命する選考委員により、審査員の選考を行うことにしました。
つぎに称号及び段位にそれぞれ基準を設け、これに基づいて審査を行うことにしたことです。これまでは基準が無く、いわば個々の審査員の判断に丸投げしていたと言ってよいでしょう。もちろん規則に示された基準、さらにその実施要領に示されたものは抽象的ですが、その具体化は、厳選された審査員の専門的判断と良識に委ねられます。規則に示された抽象的基準の具体化は審査員各人が構築したところにより判定をする、つまり審査は基準に基づいて行うということです。
さて審査員には技術的判断以外に何が期待されるでしょうか。規則第7条では審査に当たり「常に厳正、適正、かつ、公平でなければならない」また「その任務の重要性を自覚し、審査の信用を傷つけ、または不名誉となる行為をしてはならない」と要請します。
また、細則6条の2では「責務を全うするため、その公正、公平を疑われるような、いかなる言動も慎まなければならない」とし、さらに「審査に支障をおよぼすおそれがあると疑われるいかなる財産上の利益の供与、若しくは供応接待を受けてはならない」そして「審査に利害関係を有する者と審査に公正が疑われるような方法で接見または交信してはならない」と規定しています。一方、審査会会場における行為として「みだりに他の審査場に出入りし、また他の審査員に対し特定の受審者を益しまたは害するがごとき言動をしてはならない」としています。
ここまで規則化しなくても、という議論はありましたが、これは必要ということで規則・細則に入れられました。
そして審査の判定は、各審査員が他の影響を受けることなく独立して合否の判定を行うべきであり、その判定の内容は機密として保護されるべきものです。規則第22条は「必要に応じ、審査に関する情報を受審者に提供することができる」とし、合否に関する総括的事項ということで、全剣連は審査結果を公表しています。一方、細則第21条で「受審者以外の者は、いかなる名目にせよ、審査の経緯、審査員の氏名等の情報の提供を求めることができない」としているのは、審査員の判定情報の保護というために必要なことです。
先月のこの欄で、松代の文武学校を取り上げました。
そこの剣術所で竹刀剣術が行われたと受け取られる記述をしました。しかしこれは現在に通用する立派な道場を見ての印象を記したもので、この時代の竹刀剣術がこの地までおよび教育に採用されていたかは確認の要があります。
地元の関心ある方が調べて頂ければと存じます。