残暑の候を迎えましたが、台風が早々に来たり、各地で集中豪雨の被害が起こるなど、気象が不順な今年です。また米国経済の先行き不安からのドル安、未曽有の円高に襲われており、日本経済への打撃となり、これに欧州経済の変調が加わると、世界経済の混乱に及ぶことが心配されます。
国内では東日本大震災の被害回復のための措置は、遅々としており、内閣の交替に関心が集まっていますが、速やかに政治の変調を是正し、持ち前の日本の底力を発揮させて欲しいというのが国民の共通した心境だと思います。
この時期、剣道界は計画に従って夏の事業を着々とこなしています。全剣連が主催する大会では、7月16日(土)に改組して3回目の全日本都道府県対抗女子剣道優勝大会が、続く23日(土)・24日(日)の両日、全日本少年少女武道(剣道)錬成大会がいずれも日本武道館で開催されました。共催大会では、学校の休暇期間を利用する全国教職員剣道大会が、8月6日(土)に福井県立武道館で、全国高等学校剣道大会が、9日(火)から4日間弘前市の青森県武道館で、全国中学校剣道大会が、23日(火)より3日間兵庫県の加古川市立総合体育館で開催されます。同じく共催大会として全国大会の全国高等学校定時制・通信制剣道大会、全国高等専門学校剣道大会が開催され、各地で若き力をぶつけ合う、熱戦が繰り広げられましょう。
夏は高段審査会のシーズンでもあり、剣道七・六段審査会が金沢市と福岡市であり、これに那覇市で8年振りに行われる剣道六段審査が加わります。また長野市での杖道七・六段審査会もあり、多数の方が挑戦されます。
いくつもの講習会も行われます。後に取り上げますが、外国人指導者を迎えての外国人夏期講習会(通称サマーセミナー)が、北本市の解脱研修センターで、また新しい訓練生を全国から迎えて、選抜特別訓練講習会の第四期・第1回が滋賀県武道館で行われます。
7月に選任された役員・委員には、万全の構えでこれらの行事に取り組んで頂いております。8月中旬には事務局は夏休みを取りますが、事務局員も多くの行事に忙殺されます。
昭和50年に第1回の講習会を開催、長い歴史を持つ行事ですが、毎年同じ形で行われてきてはおりません。
2年前にはブラジルでの世界剣道選手権大会の審判員講習会を千葉県成田市で開催。さらに昨年はスポーツアコード武術大会(コンバットゲームズ)に備えて急遽審判員講習会を行い、一般指導者向きの講習会と振替えました。このためサマーセミナーの名で親しまれていた講習会は、今回3年ぶりです。今年も各国からの参加希望者が多く、絞って36カ国・地域の55名(うち女性6名)の講習会になりました。新規の参加はベトナムでした。
講習に当たられたのは佐藤成明範士以下のベテランの講師陣で、このほかに、国際担当の役員・専門委員が参加され、充実した講習が行われました。幸い炎暑も収まった1週間であり、熱心な受講生の態度と相俟って大いに効果が上がったと見ています。
講習会終了の翌日、全剣連としての六・五・四段の審査が行われ、六段は5名の合格者がありました。久し振りの講習会は、新興国を初めとする諸国の剣道の向上と、剣道人の絆の深化を通じて国際関係の改善に大きな効果がある事業と感じます。
来年度は世界大会の年で、大会審判員への講習会が取り上げられ、一般指導者へのセミナーは組まれていませんが、今回の講習会の雰囲気・内容から見て、是非来年度も世界大会後に開催したらという、声が高まっています。費用の関係もあり検討課題になります。
なお例年のとおり、解脱会の皆さんには食事や生活の面で大変お世話になりました。この場を借りて厚くお礼申し上げます。
役員・講師との稽古に汗を流す講習生(筆者写す)
剣道界夏の華とも言える錬成大会ですが、今年の参加者はどんなことになるかと心配していましたが、どうしてどうして被災地の県からも姿が見え、両日合計861チーム、4,870名もの少年少女の豆剣士が集い、これに監督が加わって、昨年に劣らぬ盛況に、武道館の広い道場が埋まりました。
写真に見られるように、多数の付き添い、応援の方も来場、観客席はほとんど満杯になる盛況でした。この大会に限っては、初めに元立ちに対する打ち込みによる、基本判定試合を行い、このあと1分間の一本勝負を行い、両者の合計点で勝敗を決めます。そして各試合場のベスト8以上の試合は2分間の三本勝負を行います。
全般的に見て、勝つための当てっこに走らない、しっかりした打ちが見られ、試合方法として成功しており、将来の発達を期待させるものがありました。またそれぞれのチームの監督からは、平素の指導の努力の跡がにじみ出る印象を受けました。監督は「6番目」の選手としての指導者の努力が判定される厳しい試合方法でもあるとの印象を受けました。
全国から集まった豆剣士たち(筆者写す)
全国家庭婦人剣道大会は元来、ママさんバレーに似たレクリエーションの雰囲気の中から生まれたものと思いますが、女子剣道の充実を背景に現在のシステムに切り替えました。切り替え3回目の大会では、新しい方法がどうやら定着した感を受けました。
今後、全都道府県がそれぞれ総力を挙げて勝負を争う、日本の女子剣道のレベルを示す代表的な大会になるよう、充実していくことを期待します。
試合には大震災の影響から宮城県チームが出場できなかったのは残念でしたが、他の被災県は出場健闘しました。大会の結果は、あまり下馬評に上がっていなかった佐賀県が見事初優勝を飾りました。
大会などの時披露される日本剣道形、また審査会においては必ず科目として課せられる日本剣道形、これは竹刀剣術以前に各流派ごとに修錬されていた剣術の形から選びだしたものを、竹刀剣術の指導、修錬、教育に役立つよう一本化したシリーズとしてまとめたものといえます。
作成された時期は大日本武徳会が設立され、武道振興の流れの中、剣術を広く、国民に普及するための中学校の正課として採用する気運が高まった明治の末のことです。
日露戦争が終結した時期に、統一した剣術形を大日本武徳会において作成しようとする方針が固まり、明治39年(1906)に三本の剣術形にまとめました。しかしこの案には異論も多く、広く採用する流れになりませんでした。そこで大日本武徳会では剣術形を再調査することにし、明治44年(1911)12月制定委員25名から成る委員会に、草案の作成を委託しました。
5名の主査委員によって検討が進められ草案が成り、大正元年(1912)10月16日に多くの論議を経て、太刀7本、小太刀3本合計10本の大日本帝国剣道形が決定されました。その後、大正6年の加註、昭和8年の増補加註を経て、戦後にいたりました。
戦後は全剣連が、昭和56年に文章表現などを改め『日本剣道形解説書』を作成し、これを基本として普及を進めています。
明治の後半の各流派が存在した時期に、多くの論議を経て一本化した形をまとめたのは、剣術から剣道への進化を可能にし、剣道教育の普及・進展の基礎を作った大日本武徳会の業績といえましょう。現行の日本剣道形をまとめるための方針決定、さらに制定されて100年になります。
中学校体育に武道が正課となる来年は、統一した剣道形がまとめられて100年でもあり、この間の歴史を顧みる一つのチャンスとなりましょう。
次号に続けて取り上げます。
全剣連事務局事業担当の千葉 まり子七段は、今次大会の千葉県チームに選ばれ、大将として出場しました。第1回戦は滋賀県と対戦、白星を挙げて2回戦で長野県チームと対戦、引き分けで同点、代表戦に持ち込みましたが、惜しくも敗れ退きました。健闘を賞します。
会 長 武安 義光