季節の移り変わりは早く、すべて緑の夏の気配を見せてきました。大震災の影響による原発の停止で、夏の電力不足が心配されますが、なかなか解決のメドが立っていません。回り道をせず、原発の安全性を公正に判断して、稼働させる以外に道が無いことは明らかであり、停電や老朽した火力発電の運転による莫大な損失を免れるためにも早く解決を計るべきです。
さて6月は事業報告や決算処理など前年度の締めくくりの会議が続きます。これらを終えて本年度事業の本格的展開に進みます。
5月の大イベントは、イタリアのノヴァラ市で行われた第15回世界剣道選手権大会でした。選手団の努力が実り、前回大会に引き続き勝利を収め、日本の面目を保ちました。選手団・関係者の労を多とするものです。
大会の前の国際剣道連盟の理事会・総会において、3年後の次回大会の東京での開催が満場一致で決定されました。平成9年の京都市での第10回大会以来、さらに世界大会が始まった昭和45年以来45年ぶりに日本武道館に戻って来ます。全剣連は第16回世界剣道選手権大会開催に向かって始動します。
6月5日(火)に理事会がホテルグランドパレスにおいて開催され、前年度の事業報告、収支計算書・財務諸表の承認を受けました。
平成23年度の事業は事業計画に基づいて着実に実行することができた事が報告されました。重点方策として取り上げた、普及・教育関係事業の拡充、中学校武道必修化に対する支援事業、指導・教育体制の強化、審査の適正化、審判能力の向上と試合内容の充実等に重点を置いて事業を展開したことが報告されました。
財務面では、初段受審資格の改正も影響して、登録収入が予算を上回り、事業活動収支は過去の蓄積からの補充を必要としない改善を見ました。
なお公益法人制度改革に伴い、一般財団法人への移行準備を進めてきましたが、本年3月21日付で内閣府より移行認可を受け、4月1日付で、移行して新体制に入っています。
これらの案件は6月19日(火)に開催される評議員会に付議して承認を受けることを予定しています。
標記大会には過去最高の48カ国・地域が参加して、5月25日(金)より3日間イタリア・ノヴァラ市で開催されました。会場は市の郊外にあるノヴァラ・スポーティング・ビレッジ体育館で、試合場が4コート取れますが、それ程多くない観客席にもかかわらず、満員となるほどの入りではありませんでした。
イタリア剣連担当の大会の準備・運営は、まあまあの出来で、大会は順調に進められました。ただ試合の進行や結果の報道が不十分で、観戦者へのサービスは十分とは言えませんでした。
試合結果の詳細は本誌記事に譲り、全般的印象を述べます。剣道の技術レベルは全般的に女子を含めて向上の跡が見られますが、欧州を中心とした古豪に余り進歩の跡が見られなかった感があります。この中では、団体戦で三位に食い込んだハンガリーの充実が目立ちました。
次に特記すべきは、情報技術の発達で、試合の進行が、インターネット放送としてユーストリームによって流され、世界の8万5千人もの人が実況を映像によって観戦できたことです。これについては関係の方、イタリア剣連の協力にもよっていますが、画期的なことでした。これに反し新聞報道は貧弱で、社会一般の関心の低さを思い知らされました。当方の準備も不十分だったとは思いますが、努力を要することでした。
開会式での日本選手団(筆者写す)
大会初日の5月25日(金)には男子個人戦が行われました。エントリーは4名までで、順調に勝ち進めば準決勝戦でお互い顔を合わせる事になります。原則3人1組の予選リーグを行い。勝者がトーナメントに進みます、日本の出場者は、高鍋 進、大城戸 知、畠中 宏輔、古川 耕輔でした。予選リーグはいずれも突破してトーナメントに進みました。しかし大城戸が3回戦で、畠中が4回戦でいずれも韓国選手に敗れ、準決勝戦に到達できず、日本2名、韓国2名で優勝を争うことになりました。しかも古川が韓国W・キムに敗れて3位に甘んじ、高鍋とW・キムで決勝を争うことになりました。決勝戦では高鍋は豪快なツキで勝利し日本の面目を保ちました。
筆者より表彰を受ける高鍋選手
2日目は午前に女子個人戦、午後に女子団体戦が行われました。個人戦では4選手が勝ち進み、正代 小百合、佐久間 陽子、川越 愛、黒河 香菜の4選手で優勝を争い、佐久間が優勝しました。団体戦では決勝を韓国と戦い、接戦をしましたが、韓国を下し優勝しました。他国にポイントを許さぬ完全優勝で、見事な勝ちぶりでした。
団体戦ではドイツ・ブラジルが3位に入り、敢闘選手にも名を連ねました。このほかには、アメリカ・フランス・カナダ・オーストラリア・オランダなどの選手の名が見えます。
最終日の男子団体戦には、過去最多の47チームが優勝を争いました。予選リーグ2位までの16チームのトーナメントを行います。日本はフィンランド・フランスに勝ち、準決勝戦で、ブラジルを下したハンガリーに完勝して決勝戦に進み、接戦の後米国を下した韓国と、優勝を争いました。
決勝戦では内村 良一、正代 賢司が果敢に戦って勝ち優位に立ちましたが、副将が敗れて、1ポイントの差で大将戦に持ち込まれました。大将高鍋が落ち着いて戦い、引き分けて日本が優勝しました。
時に問題になる審判技術は、研修を重ねた効果もあり、安定感は増しましたが、なお問題を残しました。引き続き努力を要します。
日本選手の活躍はまずまずでしたが、若手の台頭が期待した程でなく、次期大会を念頭に一段と努力を要します。
総体としては選手団・審判団・役員・事務関係それぞれ良くやって頂き、成果のあった大会と評価できましょう。
世界大会開催地については、これまで三大陸の持ち回りで行われてきましたが、次回から立候補制になりました。その第1回となる、3年後の大会を東京で行うことの意思を表明していました。これについては韓国も仁川での開催を提案していましたが、総会直前に取下げ、次々回の開催に変更との意思表示があり、東京での開催が無投票で決定されました。
会場は当然日本武道館を予定しており、期日は追って決定されますが、立派な大会にしなければなりません。
世界大会以外の事業も活発に行われています。毎年行われる新八段剣士に対する研修会が、東京・豊田の全日本少年剣道錬成会館において、6月7日(木)より4日間の日程で行われました。昨秋と今春の新八段を中心に22名が参集、必要な教養・実技について錬成を行いました。参加者の今後の成長を切に希望し、期待するものです。
研修に臨む新八段の面々(筆者写す)
毎月「まど」として駄文を綴っていつの間にか回を重ね、本年7月号を以て300回に至りました。当初の経緯については、何回か記していますが、筆者が専務理事であった昭和62年6月号から、当時『全剣連広報』と題していた広報誌の月刊化に踏み切りましたが、その機会に記事を書くことになり、「全剣連の窓から」として、同年8月号から毎月執筆しました。その後誌名が現在の『剣窓』となるとともに「まど」に変更して続け、この7月号を以て25年、300回を重ねた次第です。多くの方に激励を頂き、またお世話になって今日に至りました。厚くお礼申し上げます。
②5月に出た週刊経済誌の表紙が、剣道の面を被った黒装束の大きな怪人で占領されていました。内容は剣道に関係なく、企業の幹部教育に新味を出し、厳しく行っている企業紹介の特集でした。厳しく鍛える研修の象徴に、剣道が取り上げられるのは我が意を得たりと感じました。
会 長 武安 義光