昭和52年に始められた明治村大会を引き継いだ、全日本選抜剣道八段優勝大会も第10回を迎え、4月15日(日)に名古屋市中村スポーツセンターで開催されました。全国から選抜された32名の剣士による、高いレベルの剣技を競う大会として、全剣連設立60周年を迎えた新年度大会の口火を切りました。
続く4月29日(祝)の全日本都道府県対抗剣道優勝大会は、全剣連が発足後最初に手掛けた大会であり、発足の翌年昭和28年に始まっており全剣連の主催大会として、最初に第60回の名を冠して、大阪市中央体育館で開催されました。
この日から一連の春の審査会が、西京極・京都市立体育館の六段審査から始まり、七段・八段と5月2日(水)まで続きます。そして杖道・居合道の八段審査会は、全日本剣道演武大会の演武を終えた翌日の5月3日(祝)に京都市武道センターで行われ、称号審査と続きます。
京都での審査会は、演武大会を終えた5月6日(日)、剣道の称号審査で締め括りとなりますが、なお2,500名が集う名古屋市枇杷島スポーツセンターでの剣道七・六段審査で春の行事を終えます。
この一連の春の行事、例年のことではありますが、総計1万人に近い剣道高段者が参加する規模で行われ、剣道人が交流を深め、日頃の精進を示し合う場として、明治28年の大日本武徳会の発足以来の伝統を剣道界が背負って続け、第108回の大会を事故無く順調に終えて、全剣連設立60周年行事の口火を切ることができたことを、主催者として満足しています。
ご後援頂いた各機関、そして運営に当たり、ご尽力頂いた剣連の皆様、参加者の方々、さらには審査・審判に当たられた多くの方々にお礼を申し上げます。
以下それぞれの行事について触れます。
大会は5月2日(水)に、各種の武道の形に始まり、毎回参加の薙刀、続いて杖道・居合道の模範演武に続いての一般演武が行われ、第1日を終えます。翌日はまず平安神宮における武徳祭に関係者が参列、剣道界の平安、演武大会の無事開催を祈願します。
武徳祭参加者は、滅多に開けてもらえない、武徳殿南門を通って武徳殿に入り、開始式に臨みます。
大会会長挨拶のあと、京都府知事、京都市長の祝辞を頂戴、伊吹文明京都府剣連会長の歓迎のご挨拶があり、剣道形の披露があり、錬士の演武から日程に入ります。時間の制約で十分な時間を取れない憾みはありますが、3日間の剣道の立合いの総数は、1,200組に及びました。また海外から参加される方は各道合計30名になっていることを付け加えます。
さて大会の場は武徳殿での立合いだけではありません。会期中武道センターで行われる朝稽古に多数の方が詰め掛けます。写真でその雰囲気を読み取って頂きます。
大会期間中は、道場の外で多くの会合も開かれます。出身学校の同窓会などのほか、目立つのは毎年新八段に対して行っている、八段研修の同期の会です。厳しい関門を同時に突破した、いわば剣道界の同期エリートの集まりです。年齢・職業・地域の違いがあっても、剣道界・社会への貢献を果たして頂ける方々の集まりが、全剣連の行事をきっかけとして続くことは嬉しい事です。
朝稽古終了時の風景 その1(筆者写す)
朝稽古終了時の風景 その2(筆者写す)
最も厳しい段位審査として知られる剣道八段審査は、演武大会に先立つ5月1・2の両日、京都市立体育館で行われ、初日は790名の受審者に対し、一次合格者は69名でしたが、二次合格者は5名にとどまりました。2日目は874名の受審者が挑戦され、一次の83名が二次に進まれ、9名が合格されました。合計14名の合格で、1%を下回りました。合格者に60歳以上の方がおられなかったのは、久し振りのことかと見ます。八段審査は日本の剣道の最高レベルであり、この結果は多くの方に支持される所ではありましょう。不合格となられた方々の今後のご精進を期待し、再度挑戦して下さい。
七・六段について見ます。
七段は京都が975名の受審で、16.6%の合格率、名古屋は1,110名の受審で12.3%の合格率で、合計298名の新七段が誕生されました。
六段は京都が1,056名の受験で13.4%の合格率、名古屋は1,323名の受審で、合格率17.6%で合計375名が合格されました。
七・六段を通じてみると、名古屋の受審者が京都を上回っていること、名古屋と京都で七・六段の合格率が逆になっていますが、これは解析を要するところでしょう。
また大会に並行して3日(祝)に、杖道・居合道の八段審査が行われ、杖道2名、居合道10名の新八段が誕生しました。
続いて称号審査の結果をお知らせします。最高位の範士については、書類による厳重な審査が行われました。杖道は合格者なし。居合道は1名の範士が合格されました。
京都行事の最終日に行われた剣道範士の審査は、都道府県剣連から推薦された85名に及ぶ候補者について行われました。今回は審査規則で認められている全剣連会長による推薦は行いませんでした。10名の審査員による予備評価、この結果を勘案しての本審査を行い、審査規則に定める8名以上の合意により、6名の方が選ばれて、新範士が誕生しました。こちらも狭き門でした。
また教士・錬士はそれぞれの手続きを経て選考が行われ、合格者が決定されました。教士に課せられた筆記試験の成績が、今回は非常に向上しているのは喜ばしいことです。一方、錬士の審査の提出小論文において、依然として出題にそぐわぬものがあり、不合格になる方が後を絶たぬことは残念です。
名古屋市枇杷島スポーツセンターにおける剣道七段審査会の風景 その1(筆者写す)
名古屋市枇杷島スポーツセンターにおける剣道七段審査会の風景 その2(筆者写す)
第15回世界剣道選手権大会に出場する日本選手団は、5月17日(木)に成田空港を出発、イタリア・ノヴァラ市に向かいました。充実した戦力を蓄えた選手たちは、監督以下団結のもと立派な成果を挙げてくれることを確信しています。戦前の旧制第四高等学校の応援歌南下軍の一節を思い出します。「丈夫武夫(ますらたけお)は今日の春、花よりもなお華やかに、輝くいさお立てんかな」。今回の選手団には、これに「大和撫子」が加わっていました。
会 長 武安 義光