集中豪雨・竜巻などが相次ぐ異常気象の季節も過ぎ、落ち着いた秋を迎えました。7年後の東京オリンピックが決まった後ということもあり、56年振りの東京国体も賑わったようです。
7月号以後、昔話を続けてきましたが、そろそろ結末を付けますが1つ追加します。
戦後剣道の普及は目覚ましいが、とかく試合の勝負のみに走る傾向が顕著で、基本に立ち戻った教育に力をいれる必要が痛感されていました。
このため初心の教育に資する「形」を作ってはどうかという意見がまとまり、平成12年に普及委員会に剣道基本形部会を設けて立案に着手、その後多くの方の尽力を得て平成15年に、基本技9本よりなる「木刀による剣道基本技稽古法」が完成しました。
この稽古法は初心者の教育に活用されていますが、平成21年に各剣連が行う級位の審査に取り入れ、普及が進みつつあります。
事務・総務の話題に移ります。
政府の「公益法人の改革」の方策に応じて、全剣連はこれまでの財団法人から、新制度の「一般財団法人」として、平成24年より発足しました。
説明は省きますが、発足に伴い定款の作成には十分留意して、内容の近代化を行うことができたと思っています。
同連合はオリンピック種目だけでなく、広くスポーツ団体が加盟している世界規模の団体で、かねて欧州諸国を中心として、加盟への要望が強くありました。国際剣連として加盟の手続きを進めて、2006年4月の総会で実現しました。加盟により、多くの国で剣道が、言わば市民権を得て、国からの助成も得やすくなるといったことの他、国際剣連としては、KENDOの名が国際的に公認されるというメリットがあります。
なお加盟後、国際剣連の略号は、FIKになりました。
またこの団体の一組織である、格闘技スポーツの団体によるスポーツアコード武術大会が2010年に北京で行われ、国際剣連として参加しましが、第2回大会がこの10月に、ロシア・サンクトペテルブルグで開催されます。
全剣連の財政のうち、基本財産また公的補助金等の収入は微々たるもので、その太宗は加盟団体による分担金の他、称号・段位の審査・登録料により賄われており、後者が4分の3以上を占めます。
事業の推進を図るための収入は、後者の充実によって賄わざるを得ず、冗費節約に努める他、料金の値上げ・改定を行いました。昭和61年・平成9年に実施しましたが、この結果事業の安定した展開が可能となりました。
業務運営面での合理化・節約の努力も効果を収め、その後20年近くこの体系で今日に至っております。
昭和62年頃に、このような申合せを理事会・評議員会において行いました。
当時、全剣連関係の地方で開催される行事にとかく金が掛かり、担当剣連の悩みの種になっているという声が聞こえてくることに端を発したと思います。
これは行事に掛かる費用を全剣連が十分見ないこと、また関係者への接遇に関する事項が次第に派手になる傾向もあったことから、簡素化を進めるとともに、関係者自身も自粛を促すよう戒めるという二面を狙って行いました。当然役員・全剣連事務局側にも自戒すべき点がありました。
この申合せを通じ、全剣連も「掛かる費用」をキチンと見るよう配慮し、接遇・費用の節減に、この申合せは効果を収めていったと思い出されます。
全剣連は国家褒章とは別に、剣道人への顕彰制度を考え、昭和38年に剣道功労賞制度を設け、また昭和50年に80歳以上の相談役に、功労年金を支給するなど優遇措置を行いました。また節目の年に功労者の表彰を行う他、称号(教士以下)の特別授与を行ったりしてきました。称号の乱発は、称号の権威を低下させるなどの弊害も大きく、その是正を叫ぶ意見も高まり、先ずは顕彰制度の樹立を進めることにしました。
その結果、平成7年新たに剣道功労賞・剣道有功賞の制度と、従来の剣道特別功労者を最上位とする体系を決定、生存の方を対象として実行に移して現在に至っています。
平成25年現在、剣道功労賞を授与された方は累計73名(うち外国人8名)、特別功労者は累計7名となっています。また有功賞は各剣連からの推薦に基づき審査を行い、毎年60名程度に各剣連から授与されています。
その後、平成9年に始めた称号・段位制度の見直しに際し、それまで規則で認められていた、功績者に対する称号授与は、濫用の傾向がありましたので、平成12年の規則改正に際し、死亡者への追綬条項とともに一切削除・廃止し、この顕彰の制度に一元化することになりました。地味ではありますが、良い方向への改善であったと感じています。
この他、各地で剣道の後継者ともいえる少年少女の育成に努力して頂いている方々に報いるために、平成16年に少年剣道教育奨励賞を設けました。これは剣連からの推薦された団体を表彰するもので、毎年全国で200ないし300の団体を表彰しています。
剣道用具のうち最も大事と言ってよい竹刀は、国内産の「真竹」を材料とし、竹刀職人の手で生産され、伝統的に充足されてきました。然る所、昭和30年代に、国産竹材に異変があり、生産が激減しました。そこで原料を台湾の桂竹に求め、竹刀業者の手で製品化・輸入が進められました。その後竹の加工を中国で行う三角貿易の形で、製品が供給されるようになり現在に至っています。
一方、竹に代わるプラスチックを用いた竹刀の生産が進められました。全剣連も試合・審判規則で化学製品の物の使用を認めることにしました。機能・安全性については東京農工大の南雲研究室の協力を得て開発を進めた長谷川化学工業株式会社の「カーボンシナイ」が商品化され、全剣連は昭和62年その使用を承認しました。耐久力・安全性に優れたこの商品は、一定のシェアを維持しています。
全剣連はこの技術開発の功績を政府に推薦して黄綬褒章が授与されました。
思い起すことども羅列します。
全日本東西対抗剣道大会のような大事な試合は10分としました。(平成17年)、全日本剣道選手権大会も準々決勝戦以後は、これに倣いました。また東西対抗大会は引き分けをなくし、勝負が付くまで行うこととしました。
審査の組み合せでの電算機利用と相俟って、受審者の拘束時間は劇的に短縮されました。
写真コンテストを開始(平成9年)、また入選作品を用いて、毎年「剣道カレンダー」を作成。販売し好評を博しています。
剣道を今日在らしめた先人の偉業を偲ぶため「剣道殿堂」を設けました(平成15年)。現在24名の先人を選定し、肖像を奉戴しています。
毎年秋の「敬老の日」に満90歳を迎えられた、七段以上の剣士の方に、慰問・激励の書状と、簡素な品をお送りしています(平成20年に開始)。
5年ごとの記念事業の1つとして近隣の剣道愛好国に職員を団体として派遣し、見識を高めるとともに交流を深め一助としています。
昔の話ですが、ワープロ・ファクシミリを導入し、また手当・旅費・給与などの支給を、すべて銀行振り込みにしたことが思い出されます。
昭和62年8月号より始めた「まど」(初期の頃は「全剣連の窓から」)は、今月号を以って幕を引かせて頂きます。長い間ご愛読頂き有難う存じました。
なお、全剣連の事業として第1回からの合本を作って頂くことになりましたので、ご関心の有る方は是非ご覧ください。
多くの方々にご協力・ご尽力を頂いて続けることができました。最後に改めて厚く御礼を申し上げます。