集中豪雨・竜巻など異常気象に悩まされた夏でしたが、季節の移り変わりは早く秋を迎えました。ちょうどブエノスアイレスでのIOC総会で、2020年のオリンピック大会の東京開催が決まり、国内は沸き上がっています。顧みれば前回東京で開催された初めてのオリンピック大会は戦後19年、日本の復興を世界に示そうという意気込みで国民は頑張ったのが思い出されます。それから56年を経て開かれる大会は、近代国家としての日本の良さを世界に示す大会として行なわれましょう。しかしくれぐれもオリンピック種目以外の競技を無視しないよう準備に配慮が必要です。
剣道界は2年後に、世界剣道選手権大会の東京開催があります。これがただの露払いにならぬよう努力が必要です。日本文化に育まれた剣道の良さを、内外に示すよう関連行事を含め、素晴らしい大会にしなければなりません。
「称号・段位」・「試合・審判」の制度・規則が一応整備され、多くの大会も行なわれるようになると、各団体は指導・講習に手を付けることになります。
基礎固めを終えた全剣連がこの面に力を入れることができたのは、昭和40年代に入ってからといえましょう。昭和41年から地方への巡回講習を開始し、また審判員講習・剣道形講習などを年数回行ってきましたが、軌道に乗ったのは船舶振興会の補助を得て、昭和49年よりブロック別に年9回の地区講習会を始めてからです。昭和50年代に入ってからは『幼少年剣道指導要領』などの指導書の作成が実現しています。
この時期に居合道・杖道も含め、普及指導が進んできましたが、平成に入り、これまで述べてきましたように「試合・審判規則」・「称号・段位制度」の体系が整ってから、全剣連は普及・指導の充実に本格的に取り組んでいくことになります。
普及・教育を進めるに当たり「剣道の理念」の各論となる「剣道指導の心構え」策定について「長期構想企画会議」において取り組みました。2代の議長の苦心の末、平成19年3月成案を得て、指導の取り組みへの指針を作ることができました。
これまで行ってきていた、年度始めの中央講習会・中堅剣士講習会・女子剣道講習会などは、充実を図りつつ継続してきましたが、特記すべきものは、国が中心となって枠組みを作った「社会体育指導員養成講習事業」に剣道界として参加したことです。
文部省が設定したこの制度のうち「地域スポーツ指導員」の資格に剣道界として参入する方針を固め、平成5年に「社会体育指導員委員会」を設け、一般スポーツを対象としたこの制度に剣道をどう適応させ取り入れるか、調整を図りつつ成案を得ました。文部省に申請・折衝の末、平成6年認可を得て平成7年10月、第1回初級講習会を実施しました。
この事業は予期以上の剣道愛好者の支持を得て、ほとんど費用を参加者が負担して開始した事業でありながら、毎年多数の受講者を集めてきました。
開始後20年を総括して、入口となる初級講習会は全国各地で合計92回、資格取得者は初級7,100名・中級2,300名・上級570名の多数に及んでいます。
資格を得た指導者は、全国に広がっており、各地の指導力の増強に大きな効果を与えるまでになっているとみられます。ここに至ることができた要因は、指導に必要な知識・能力を求めるニーズに応えたこと、講習に当たった講師が良い指導を行って頂いたことにあるとみております。
次に取り上げた講習事業に、審判の「講師要員の研修制度」があります。試合・審判規則が整備されましたが、現実にそれぞれの試合において正しく運用されないと、試合内容の向上につながりません。そのための講習制度をどうしていくかが、大きな問題でした。
審判の適正化を図って試合内容を向上させようという空気は、各剣連を通じて強くなっていました。これに応えるために講習を行うことが必要なのは当然ですが、簡単には効果が上がりません。このための方策として取り上げたのが、トップの講師要員の研修を徹底することでした。
それまでは「講師によって、説明が違う」などの声がありました。講習に当たる講師を徹底的に鍛え、その講師によって講習を行う。「段階を経て、裾野を広げていく」。迂遠のようですがこの方法しかないということになりました。
古い話ですが、終戦後の万事荒廃した経済の再建に当たり、総花的にせず石炭・鉄鋼の基礎資材の生産に総力を結集、乏しい食料・基礎資材の中から、両産業・労働者に重点的に配給するなどして、危機に対応した「傾斜生産方策」を政府が採ったことが思い出され、これを念頭に置いたものでした。
平成12年度に始めたこの講習には、講師要員の方々も協力的に努力して頂きました。何回か講習に参加して、卒業の域に達した方には資格認定証を出すことにしており、現在までに総数174名に及んでいます。この方式はその後重点となった指導法の講師についても採用しています。
さて講師の充実を重点として取り組むとともに、剣道界の講習体制の組替を行いました。これは地方に「軸足の重心を移す」という表現を用いていますが、特別の幹部要員などを除く一般の講習は、全剣連は手を離し、地方剣連や横割の剣連に進めてもらい、全剣連はその活動を応援する立場に回るということです。
平成17年度からこの考えに基づき、剣連への講師派遣・講習の援助の活動を事業化しました。各剣連の要望に応じ、年1回の講習に講師を派遣します。科目の希望は当初「審判法」が多かったのですが、これが一巡し近年は「指導法」が主になっています。
大きな助けになった船舶振興会の補助による地区講習会は、補助の打切り・講習体制の改変により取り止めました。
ここで全剣連として直接手を染めている講習事業に触れます。毎年4月に行っている中央講習会、5月の中堅剣士講習会・女子審判講習会、また世界剣道選手権大会を目処とする剣士の強化訓練がありますが、平成17年に始めた通称「骨太剣士養成講習会」(選抜特別訓練講習会)は意欲的事業です。
20歳台中頃までの高校生を含む若手優秀剣士を全国から約60名指名し、2年間の期限で、試合能力の強化は一切行わず、地力を付けるための錬成に集中しての、集合訓練を年数回行うもので、将来の実力ある剣士を育てる目的で始めました。現在五期目の養成に取り組んでいますが、長期的にみて実績が上がることを確信しています。
第5期第1回に参加した骨太講習の面々(滋賀)
3年ごとの世界大会の選手強化を目指す、強化訓練を行っています。国際剣連への加盟国・地域は既に50を超えており、世界剣道選手権大会は、平成24年5月に第15回大会を終え、技術水準の向上は目覚ましいものがあります。平成27年5月の第16回大会を目前にしており、そのための選手強化を図るプログラムが始まっています。現在はこのための強化訓練を行うことについて、特に違和感は無いと思いますが、これを始めたのは、昭和60年以後のことです。
実は私は全剣連役員に就任して、パリで行なわれる第6回大会の選手選考を行う会議に出ました。そこには警察・教員・実業団の代表がおり、12名の選手枠(当時は女子は親善試合だけでした)の構成は、警察・教員各5名、実業団2名ということで、選手名を持ち寄り簡単に決めました。特別の訓練は行なっていません。
当時特に剣道界は海外に行くのがまだ珍しい時代でしたが、役員・審判・選手は1つの団体を組み、初めイギリスに寄り道、時差調整を行い(観光も兼ね)パリに入り大会に臨みました。大会後はやはり団体で、スペイン・ドイツを回って帰国という日程でした。
大会に日本はやっと勝ちましたが、内容は褒められるものではありませんでした。仕事で大会だけに参加して一緒に往復した佐藤 勇常任理事と「選手はカルチャーショックを受けているなぁ」と話し合ったものでした。
帰国後相談して、次の大会から現在のような選手の強化訓練を始めました。世界大会のためだけでなく、日本の代表を鍛える場として行なっていることは御承知のとおりです。こんな時代があったということです。
誌面も尽きました。続きは次号といたします。