盛夏も過ぎようとしていますが、各地で異常気象の集中豪雨が続発し、被害も多発しています。夏の剣道諸行事への影響も心配され、被害の少なからんことを祈念します。
さて毎年7月の末には日本武道館で、全日本少年少女武道(剣道)錬成大会が開かれます。各地で錬成を重ねている少年たちが、指導者と共に参集して腕を競う風景は、見ていて心豊かになる思いです。丁度北本で開催されている外国人指導者講習会の一行も、日程を繰り合わせて見学されましたが、感銘を受けたことでしょう。
武道館を埋める少年少女剣士(筆者写す)
この時期プロ野球の報道で、「二刀流」が盛んに使われています。北海道の球団の新人投手が、野手と両方の役を務め、相当の成績を収めて、人気を呼んでいることによります。投手で大打者というのは、昔から学生野球では日常のことですが、分業の発達したプロ球界では珍しく、ニュースとなっていること、良い着眼だったと感じます。
ところで本家の剣道界での二刀流は、近年沈滞しているように見受けます。戦前の昭和9年・15年の天覧試合では、いずれも二刀の剣士が勝ち進み、決勝戦で優勝を争っていますし、学生界では高専大会などに多くの二刀剣士が活躍しました。戦後も八段剣士が出ていることはご承知のとおりです。
試合に有利ということで、当てっこ剣道に走って顰蹙を買う傾向もありましたが、しっかりした二刀剣道が育つことは、剣技の多様化の観点から歓迎されるべきことです。この観点から全剣連は正しい二刀の普及に資するべく研究会を組織して討議を重ね、平成21年12月、『剣道指導の手引き(二刀編)』を作成しています。関心のある向きは、是非ご一覧ください。
以下、前号の続きに進みます。
昭和27年10月全剣連は活動開始に当たり、「剣道はスポーツとして再出発する」という基本方針を宣言し、まず試合・審判規則を翌年3月に制定しました。戦後の剣道はこの時制定された方式を踏襲して現在に至っていますが、戦前の学生剣道で育った私などは手に旗を持った審判などに当初違和感を持ったものでした。
大要は以下の通りです。
この規則は大筋として現在に引き継がれ、新しい時代の基盤を作ったものといえます。その後、剣道の復興に伴い数回の規則改定を行いましたが、昭和50年の「剣道の理念」制定後、その趣旨を試合に生かすべく、54年4月に規則の大改定を行っています。
平成に入り、規則の体系の整備、簡素化、国際的にも理解し易い規則の整備などを目標に改定に本格的に取り組みました。平成5年秋から1年半にわたり審議を行い、7年7月より実施の運びとなりました。内容は技術的事項のみならず、規則に目的を掲げ、用語の定義、使用の明確化にも留意し、文書としての質の向上を図りました。また宣告用語の簡素化にも配慮しています。
一般の理解を求めるために、松永政美委員長が機関誌『剣窓』に毎月寄稿し、審議経過などについて解説を行いました。また幹部が各地に出向いて説明し理解を求め、現場の意見の吸い上げにも留意しました。改定の主な点を記します。
この改定は修正事項を取り上げていますが、主眼は試合・審判規則を、体系として整備する所にありました。規則の冒頭に目的を掲げるなど、国際的にも理解し易いものにしています。改定点3.の打突部など、激しい議論を呼んだ所もありましたが、結論的には理解が得られて成立し、その後20年近く、大きな問題点も無く、活用されてきました。作成に尽力された方々に謝意を表するものです。
平成9年に会長に就任し、予て懸案事項と感じていた称号・段位体系の近代化に取り組むこととしました。それまでも受審者の便も考慮した、審査業務の合理化には力を入れてきました。
などが思い出されます。
さて実行面の改善は進みますが、全体の体系では既に多くの問題が認識されており、昭和50年代にかなり本腰を入れた検討が行われ、結論も出ていますが、実行は立消えになっています。
ともかく剣道界では戦後再発足に当たり、先行していた柔道に倣い十段制を取り入れ、これに戦前からの称号を残して並列的に進めてきました。戦前は段位は五段まで、その上に称号があるという形でしたが、戦後は段位だけでなく、称号もインフレ状態となり、ことに範士が濫発され、実質的に九段が最高位となる運営が固まっており、矛盾を感じながらも手を付け難い状態にありました。
剣道界の指導的立場の人は、長年慣らされていた制度・運用を変えることに、消極的・警戒的な空気が強く、正直の所改革を成功させることに、自信を持てる状況ではありませんでした。
しかし幹部と相談し、この問題に取り組むことにし、準備作業を経て所定の会議に図り、意見を求め審議と展開に理解を求めました。審議会・相談役会ではかなり積極的意見もあり、それらも踏まえて基本方針を固めるための準備を進めました。そして平成10年に入って基本方針案として「称号・段位の見直しについて」の取りまとめに漕ぎ着けました。主要点は以下の通りです。
こういったことで「考え方」をまとめ、平成10年11月の理事会・評議員会で一応の了承を得て、規則作成の作業を進めることにしました。この際3つの部会を設けましたが、熱心に作業が進められ、11年1月に結論を出して頂きました。これを柱に規則を策定、審議を経て6月の理事会・評議員会で決定、12年度からの実施が決まりました。居合道・杖道でもこれに準じ行うことを決めています。
こうして称号・段位の体系を固める規則改正は、多くの方のご協力を得て実現し、その後10数年を経た今日まで、適切に運用されているのは有り難いことと存じています。
この間、試合・審判規則の改定の際と同じく、各地にも出向いて説明と意見交換会を開催したこと、松永委員長が『剣窓』に2年にわたって解説記事を書かれるなど、大方の理解を得るための努力がありました。また規則成立後、お二人の九段受有の方から返納の申出を頂いたことは感銘深いものがありました。
新体系での大きなポイントは、範士を最高位と定めたことに関連し、九段の審査基準・審査方法は定められず、書類選考により行なわれ、問題が指摘されていた九段審査が行われなくなったことでしょう。範士を最高位として、厳選されるようになり、平成4年に470名いた範士は、平成24年には215名になっています。
教士の筆記試験の実施など新規則の実施が軌道に乗ったことに伴い、
こういった改善は幾つもありましたが、審査の妥当性を高める方向で取り組んだことが思い出されます。
誌面も無くなりましたが、この改革が実現できたのは、剣道界に残されていた正論と、個人的利害を離れて案を支持する意見の持ち主の後押し、さらに担当された役員・委員の熱意によるものと感じ、感謝に堪えません。顧みて感無量のものがあります。
最高顧問 武安 義光