見事だった桜花も散り、葉桜・新緑の候を迎えています。九段界隈を行き交う人も、新たに進学した希望に満ちた若人の群れが目立ちます。各地の剣連では新年度の新しい事業計画に則って活動を開始しておられることと存じます。
全剣連も新年度第1の事業は、例年通り東西で行われる、中央講習会で幕を開けます。これに並行して新しいメンバーを加えた、男子第1回強化訓練講習会が、筑波大学の場を拝借して行われました。
また春の審査の口火を切って、教士の筆記試験が全国3カ所で行われました。
さて大会では、明治村大会を引き継いだ全日本選抜剣道八段優勝大会が名古屋市で21日(日)に開かれました。続いては大阪市での全日本都道府県対抗剣道優勝大会、全国の剣道人のお祭と言える古都京都での全日本剣道演武大会と舞台が移ります。
高段剣道人が挑戦する一連の審査会も開催され、京都市のゴールデンウィークは剣道で彩られます。
さて政治面では、成長路線を掲げる政策に1年前と様変わりの活気ある空気の中、議員定数の削減・農作物などへの関税削減が最大の課題となるTPP参加への関係国との交渉などが、国内政治の大きな論点となっていますが、国運の長期的進展を図るという観点で、問題を解決していくことが望まれます。
国際関係では、離島での領土を巡る摩擦、北朝鮮のミサイル・核兵器を巡っての暴走の懸念など、問題が続出していますが、内向きに偏ってきた前政権に代わった新政権の実力を拝見したいものです。
さてお互い剣道人は、このような時期であればこそ、人造りの実績を挙げるべく活動を高めなければなりません。勝ち負けを目指しての修業に暴力沙汰が入るなどは、「剣道の理念」を掲げ、「指導の心構え」を定めている我々として論外です。戦後再発足した剣道界は、ポスト60年を迎え努力を続け成果を収めていきましょう。
都道府県剣連・組織団体から選ばれた講習生は、東日本は東京青山・明治神宮外苑の国立霞ヶ丘競技場体育館、西日本は神戸市中央体育館にそれぞれ集い、4月6日(土)・7日(日)の両日講習を受けて、本年度指導の基本を固めることができたとみます。
受講生は前記の他に、剣連側からの自主参加者を加えて、東日本は69名、西日本は57名、そのうち八段受有者が、東日本28名、西日本21名を数える充実振りで、それぞれ成果を収めることができました。講習会の沿革・内容などについては、昨年5月号の「まど」をご参照ください。
男子強化訓練の新年度第1回のメンバーは、10名の新人を含め35名を指名しています。昨年の日本選手権者・木和田大起六段が筆頭です。警察所属の剣士が3分の2以上を占める警察優位の中、学生・教員各4名と実業団1名が目につきます。
全剣連は、配するに優れた講師・ドクター・トレーニングコーチを以てし、4日間の日程で効果を収めることを目指しました。
とかく機会が少なくなりがちの関係剣連の会長との会同を、機会を捉らえて持つよう心掛けていますが、なかなか思うに任せません。1年怠りました関東・甲信越剣連の会長会同を、去る4月8日(月)にホテルグランドパレスで開くことができました。お集まり頂いた1都9県の会長(2県は副会長がご出席)には全剣連の計画・実施業務の説明を行うとともに、各剣連からは業務の実況・問題点などについて報告頂くなど、意思の疎通を図る懇談を行う、有益な機会を持つことができました。
本年の参加申込者は各演武合計3,548名で昨年とほぼ同数。近年の最高を継続しました。
春の高段への審査に挑戦される方は、相変わらず多数を数えております。名古屋での七・六段審査を含め、合計6千名を超える勢いです。この中で西京極の京都市立体育館での5月2日(木)の剣道八段審査の受審者が1千名を超えたのが目立ちます。
教士の審査には筆記試験が伴います。春秋の称号審査会の前に試験が行われます。本年も4月13日(土)午後、教士受審者に対する試験が、東京・神戸・福岡の3カ所で行われました。
受審者は全国合計218名(うち再受審1名)、他に居合道4名・杖道2名が加わります。東京の会場は明治神宮外苑の日本青年館で行われ、剣道の受審者は合計93名でした。試験は3時限に分けて行われ、最後の時限には小論文が課せられます。
受審者は錬士・七段受有者で、年齢は38歳より最高齢81歳でした。神戸市・福岡市での試験も無事終了しています。社会体育指導員上級の資格を取得された方は、この筆記試験が免除されますので、該当する受審の方を加えて、5月6日(祝)の審査会で合格者が決まります。
称号「教士」筆記試験・東京会場
戦後剣道の復興・再建期を支えられた全剣連相談役の東西の長老が相次いで世を去られました。年齢は奇しくも大正14年御誕生の87歳、同じ執行部で全剣連業務のみならず、剣道界の発展にご尽力頂いた方で、哀悼の念に堪えません。
橋本明雄さんは群馬県ご出身、祖父の方の指導で少年時から剣道を始められ、中学校を経て、昭和18年の戦中に東京高等師範学校体育科に進学、剣道の道を進まれました。しかし折からの戦中、道半ばで敗戦、学校剣道禁止の厳しい時代となりました。
高師卒業後は高校教師として勤められましたが、剣道復興の時代となり、東海大学に招かれて、若手剣道家の育英に努められました。その後、学生剣道の発展に伴い、学生剣道界のリーダーとして活動を続けられました。全剣連においても執行部に入り、常任理事として活躍され、試合・審判委員会を担当され、規則改正にご尽力頂いたことが思い出されます。
その後、全剣連では平成9年より審議員としてご尽力頂きました。また学生剣道を中心としての剣道発展に尽くされた功績に対し、剣道功労賞が贈呈され、平成23年全剣連相談役に就任頂きました。
しかし最近お会いする機会が少ないなと感じていた所、訃報に接しました。寡黙着実に剣道の復興・発展に努力された橋本さんのかつての日々を想起し、ご冥福を祈ります。
奥園國義さんは鹿児島県ご出身、戦後大阪に出られ警察界に入られ、大阪府警において剣道の道を歩まれました。選手としても活躍され、剣道教師・師範と進まれ、剣道人として一家を成されました。さらに行政能力、指導者としての人格・力量の評価もあり、大阪府剣連理事長を務められました。全剣連においても平成11年より審議員その後、平成15年より剣道家の代表ともいえる全剣連副会長も務めて頂きました。さらに平成21年には相談役に就任されました。その間、終始剣道家としても現役を続けられ、京都市での剣道演武大会の際の朝稽古会には、常に元立ちとして指導に当られた姿が思い出されます。
奥園さんは戦中は海軍航空の操縦士として、生死の間を潜り抜けてこられた方でした。その時代のエピソードを漏らされたことも有りましたが、戦火に生き残った奥園さんは寡黙謹厳の剣道家として、戦後の剣道界の発展を実践され、功績のある方でした。改めて急逝を悼みご冥福を祈ります。
平成24年度の段位の登録者の集計ができました。三道の初段の合計は辛うじて4万人台を維持しましたが、41,426名で、受審資格を変更した前年度からは5千名の激減となり、6年前の水準に戻りましたが、善戦と言って良いようです。都道府県別にはいずれも減少傾向の中、大阪府・愛知県・長野県などの大所が増加しています。
各段の累計の在籍数は181万6千名で、剣道人口を推定する根拠数となっています。
全剣連事務局の花見は3月28日(木)の宵、靖国神社の恒例の場所で行われました。折しも桜は満開、近年にない見事な花見となりました。これも剣道と同じ日本文化の華のもと、ポスト60年の業務で頑張ろうと、一同励まし合いー夕を楽しんだことでした。